" 呪法師たちはファラオに「これは神の指です」と言った。しかし、ファラオの心は頑なになり、彼らの言うことを聞き入れなかった。主が言われたとおりであった。"
出エジプト記 8章19節
川が血になり、蛙が全土を覆い、今度は三番目の奇跡、「地のちりがブヨになる」というものでした。(16-17節)
ブヨとは体長数ミリの小さいもので、まさに土のちりがそのままブヨになったという感じです。
刺されると半日後には、激しいかゆみに悩ませられます。
それがエジプト全土を覆ったというのですから、たまったものではありません。
今度はさすがに呪法師たちも土のちりをブヨにするということはできませんでした。(18節) そこで呪法師たちがファラオに言ったことばが今日の箇所です。
これは神の指です・・。
呪法師たちはこの奇跡の出所を「神」と認めたわけです。
しかしファラオの心は頑なになった・・。
ファラオは「王」でした。
王が誰かにひれ伏すなら、その途端にファラオは王でなくなるわけです。
ですから神を認めることは絶対にできないのです。
私たちすべての者は罪びとであると、聖書は言っています。
それは他でもない、私たちすべての者は、絶対にほかの誰にも譲ることのできない「心の王座」という、固い城壁で守られている部分があるということを指摘するものです。
それが砕かれないことには、その上におられる存在、すなわちまことの神を認めることなど決してできないというわけです。
神を認める・・、それはある種の降参、また敗北なのですが、実はそれこそが「賢明さ」という世界への入り口、すならち知恵の始まりだと聖書は言っているのです。
"知恵の初め、それは主を恐れること。これを行う人はみな賢明さを得る。" 詩篇 111篇10節
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)