" ファラオは言った。「では、おまえたちを去らせよう。おまえたちは荒野で、おまえたちの神、主にいけにえを献げるがよい。ただ、決して遠くへ行ってはならない。私のために祈ってくれ。」"
出エジプト記 8章28節
ファラオはとうとうモーセに降参します。
神にいけにえをささげても良いから、この国の中でせよ・・と。
しかしモーセは、荒野に三日の道のりを行ってそれをしなければならないと告げます。(26-27節)
だったら、遠くへ行くのでなければ良い。私のために祈ってくれ・・。
これが今日の箇所です。
そして主はモーセのことばの通りにされ、アブは一匹残らず、ファラオとその家臣、および民から離れ、いなくなりました。(29-31節)
ところがファラオはまたも心を硬くし、民を去らせなかったというのです。(32節)
降参したのに、また心を頑(かたく)なにするという、学習しない人ファラオ・・。
とは言え、それは私たちの姿そのままを映し出しているような気もします。
神は絶対なるお方。そしてその神は私たちを愛し、私たちに良きものを与えてくださろうとしておられるお方です。
なのに私たちはその大きな存在を忘れて、ただひたすら自分の願うことを求め、結局満足できないでいる・・。
でもそれは、「神を信じていない」ということに他ならないわけです。
神は私たちに必要なものを、一つ一つ順番に与え、そして最後にはどのようにされようとしておられるかというと、私たちを「神の聖さに与(あずか)る者」とされるというのです。(ヘブル12:10参照)
神は私たちに必要な良いものから、順番に与えてくださるお方なのです。
学習しましょう。その主が今も、あなたと共にいてくださっているのです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)