" 実に今でも、わたしが手を伸ばし、あなたとあなたの民を疫病で打つなら、あなたは地から消し去られる。
しかし、このことのために、わたしはあなたを立てておいた。わたしの力をあなたに示すため、そうして、わたしの名を全地に知らしめるためである。"
出エジプト記 9章15~16節
これはファラオに対する主のことばです。
ファラオは、エジプトの民の家畜が疫病で大量に死に、しかもイスラエルの民の家畜は一頭も死んでいないのを見たにもかかわらず、さらに心を硬くし、民を去らせることをしませんでした。
それで主は、続けざまに第六番目の奇跡を起こされます。
それはモーセがかまどのちりを天にまき散らすと、そのちりは人と家畜につき、うみの出る腫れ物となるというものでした。
それでもなお、ファラオは心を頑なにし続けます。(8-12節)
そこで主は、ファラオに対して言われました。
「わたしの民を去らせ、彼らがわたしに仕えるようにせよ」 そうでなければ「わたしのすべての災害を送る」と。
そしてそれは、「わたしのような者が地のどこにもいないことを、あなたが知るようになるためである」・・と。(13-14節)
さらに主は、ファラオに対して決定的なことばを告げます。
それが今日の箇所です。
それは、「あなたのいのちはわたしの手の中にあって、わたしがそうするならばあなたのいのちは即座に消え去るのだ」という意味です。
しかし今はファラオをさらに生かすことによって、「わたしの力をあなたに示し、わたしの名を全地に知らしめるのだ」と、神は言われたわけです。
このファラオと神の一連のやりとりを見ていると、私たちと神との関係を思い起こします。
それはすなわち、「自分が折れるか、自分の思いを守るか」にかかっているということです。
人が神に立ち返るということは、大きな奇跡の一つですが、しかしそこで起きることと言えば、それは自分が折れるという単純な一つのことなのです。
神はこのようにして、いつも私たちに迫っておられるんですね。
そしてそのたったひとつのスイッチによって、人の運命は変わるのです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)