" しかし、あなたとあなたの家臣はまだ、神である主を恐れていないことを、私はよく知っています。」"
出エジプト記 9章30節
前回の箇所に続いてモーセがファラオに言ったことばです。
ファラオもその家臣も、あなた方はまだ神である主を恐れていない。そのことが私にはよくわかる・・と。
モーセがファラオに向かって確信をもって、このように言えた理由・・、
それは彼らが「自分がこの神の手から逃れることしか考えていない」というところにとどまっていて、その先に行き着くべきところ、すなわち、この主に助けを求めるべきだというところには全く思いが至っていないということが、見て取れたからではないでしょうか。
結局ファラオは、モーセの神を認めたにも関わらず、それが絶対者である神であり、すべての者がひれ伏すべき方だという概念は、どこにもなかったわけです。
ファラオはモーセに、「今度は私が間違っていた。主が正しく私と私の民が悪かった。主に祈ってくれ」(27-28節) と、さも降参したかのようなことを、家畜の疫病の時に続いて二度も言っているわけですが、だからと言って自分がこの神の前にひれ伏すなどということは、頭の片隅にもなかったというわけです。
私たちクリスチャンは、身の回りに起こる様々な出来事を、神との関係の中で考えます。
そしてその都度、神と自分との関係について新しいことを教えられていくわけですが、結局行き着くところは、「神を本当に信じる」ということなんですね。
それは、絶対者である神を信じるということです。
世の中の人は、自分を助けてくれるのならこの神に頼んでもいいと思ったりもするわけですが、それができないなら信じたってしょうがない・・。
結局その神を恐れ、この神の前にひれ伏すなどという概念は、微塵もないわけです。
一番大切なこと・・それはこの神を信じ、まことの父として絶対的にいてくださるこの方を恐れ、この方の前にひれ伏すことなんですね。
「あなたは髪の毛一本さえ、白くも黒くもすることはできないのです」(マタイの福音書 5:36から)
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)