" 四百三十年が終わった、ちょうどその日に、主の全軍団がエジプトの地を出た。"
出エジプト記 12章41節
イスラエルの民はラメセスからスコテに向かって旅立った。そのとき、女、子供を除いて、徒歩の壮年男子は約六十万人だったとあります。(37節)
ということは、すべての民はその妻と子供たち、また老人なども入れると、ざっと二百万人にはなるかと思われます。
ところでこの六十万人の壮年男子について、この41節では「主の全軍団」と記されています。
さっきまで奴隷であったイスラエルの民が、ここでは「主の軍団」とされているのです。
イスラエルの民は奴隷であったとはいえ、それまでの12部族の系図をきっちり守り、それぞれの族長以下の組織は、きっちりできあがっていたものと思われます。
それまでは、耐えがたい労働に押しつぶされそうになり、それを乗り越える「自分」というレベルでしか物事も考えることができなかったイスラエルの民・・。
ところがそれが一夜にして「主の軍団」としてよみがえったのです・・。
それは、強力なリーダーシップをもって導いてくださる「主」という方の名のもとに、民がひとり残らず聞き従って、行動を開始したということに他なりません。
ところで、私たちクリスチャンは、以前は自分のことで目一杯という者でした。
しかし今は「どうやって自分を救うか」というようなことからは解放されて、主という方に従うという、全く新しい行動の規範の中でその歩みを出発させた者です。
私たちは、主という方のみこころに従う、この世にあっての「主の軍団」なんですね。
主は四百三十年経った「ちょうどその日」に、イスラエルの民を主の軍団としてこの地から導き出されました。
ちょうどその日・・それは、主が完全にその御手の中でこのご計画を進められるのだということを示すものです。
教会・・、それはこの世にあっての「主の軍団」なんですね。
そして、「終わりの時」すなわち主のもとに行くそのときは、それがいつだかは私たちは知りませんが、とにかくきっちりと決まっているのだということを、心に刻んで歩んで行きたいものです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)