" これは一つの家の中で食べなければならない。あなたは家の外にその肉の一切れでも持ち出してはならない。また、その骨を折ってはならない。"
出エジプト記 12章46節
主は「過越に関する掟」をモーセとアロンに与えられます。(43-50節)
この掟を見ると、イスラエルの民の中には寄留者や雇い人という、十二部族以外の人たちも混入していたことがわかります。
それらの人たちに対して主は、もし過越のいけにえをささげようとするなら、その男子はすべて割礼を受けなければならない。
それはこの国で生まれた者も、寄留している者や奴隷も同様に、とにかく割礼を受けよ・・と。
そして割礼を受けるなら、「彼はこの国に生まれた者と同じになる」というのです。(48節)
そして今日の箇所で強調されているのは「これはひとつの家の中で食べなければならない」ということです。
それは、その人がたとえ異民族の寄留者であっても、割礼を受けるなら、なんの差別もなく一つの家の中の家族となるということを示すものです。
このことを教会に当てはめて考えると、全く出自(しゅつじ)や性格の異なる人であっても、主イエス・キリストを信じて洗礼を受けるなら、それは神の家族となり、「私たちは主にあってひとつ」と宣言できる者となるということです。
そして家の外にその肉の一切れでも持ち出してはならない・・。
それは、その救いはこの神の家族というつながりの中でのみ、それは形成されていくことを示しているのではないでしょうか。
さらに・・その骨を折ってはならない。
それは、イエス・キリストの十字架までも暗示しているわけです。
ささげ物となられた神の子羊イエスは、十字架から下ろされるとき、通常の習慣であるところの脚の骨を折られるということはなかったのです。
こうして主イエス・キリストにある神の家族は、真の家族となり、同じ目的地、天の御国に向かって、歌いながら歩む者となるのです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)