" モーセが手を海に向けて伸ばすと、主は一晩中、強い東風で海を押し戻し、海を乾いた地とされた。水は分かれた。
イスラエルの子らは、海の真ん中の乾いた地面を進んで行った。水は彼らのために右も左も壁になった。"
出エジプト記 14章21~22節
主は一晩中、強い東風で海を押し戻し・・とあります。
どれほどの強い風だったのでしょうか。
海の水が戻ってしまって、水は彼らのために右も左も壁になった・・というのです。
これは力学的にはちょっと想像できないことのように思われます。
しかも民が進んでいったその海底は「乾いた地」だったというのです。
聖書には天地創造の始めから終わりまで、奇跡が満載です。
それを科学的に証明しようとする向きもありますが、もともと科学というのは被造物である人間が、創造者である神がなさったことを分析する学問なのであって、その「科学」をもって創造者のことを解明するなど、できるはずがないのです。
科学とは、被造物である人間が、その与えられた能力によって少しずつ神の作品を解明していく学問に過ぎないのです。
この海が分かれた話も、「科学的」に考えようとするなら、海の水が分かれるほどの強い風が吹いたのなら、民はいっぺんに吹き飛ばされてしまうではないか・・という話になってしまいます。
こうして私たちは、神の奇跡をあるはずのない寓話として受け止め、生きて働かれる神が現実になさることへの期待・・すなわち信仰を骨抜きにしてしまうんですね。
どうにもならないと諦めてしまいたくなる出来事・・それは私たちの日常生活において、いくらでもあることです。
「こればっかりはどうにもなりません」ということばを、しかも確信をもって言われるのを聞くことがよくあります。
自分で神を狭くする・・。
私たちはそれを日常的にしてはいないでしょうか。
信仰の大きさは、あなたの神の大きさそのものなのです。
信仰がなければ、神に期待するなどということはあり得ないのです。
神を小さく、狭くしてしまうことがありませんように。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように)