" こうして主は、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた。イスラエルは、エジプト人が海辺で死んでいるのを見た。"
出エジプト記 14章30節
主はモーセに「あなたの手を海に向けて伸ばし、エジプト人と、その戦車、その騎兵の上に水が戻るようにせよ」と言われました。
そしてファラオとその全軍勢の上には水が覆い、残った者はひとりもいませんでした。(23,26-28節)
こうして主は、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた・・。
ファラオとエジプト軍が滅ぼされて、もはや誰も追って来ないことが確定した日その日を、「救われた日」だと言っているわけです。
何度も書いていますが、この出エジプトは私たちの救いの「型」です。
イスラエルの民は、主の力によってエジプトを脱出したわけですが、本当に救われたのはいつまでも執拗に追ってくるファラオが滅んだときだというのです。
もう誰も追ってこない・・。
そのことを私たちの救いということに置き換えると、それは私たちを追う者、すなわち「死の力」が滅ぼされたときだということになります。
その死の力が打ち破られたとき・・それは実は二千年前にすでに完了しているんですね。
イエス・キリストが十字架で死なれ、三日の後に復活されたことにより、私たちを追う死の力はすでに滅ぼされたのです。
そしてその時以来、死を切り札として私たちを責めようとするサタンの力も同時に骨抜きにされたのです。
救いが確定したとき・・それはイエス・キリストがよみがえられたときなんですね。
救いはすでにイエス・キリストによって完了しているのです。
あとは人がそれを受け取りさえすれば、救いはその場でその人の上に実現し、その時から約束の地(天の御国)に向かってこの地上の旅が始まるという、それまでとは全く異なる、新しい歩みが与えられるのです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)