" こうして彼らはエリムに着いた。そこには、十二の水の泉と七十本のなつめ椰子(やし)の木があった。そこで、彼らはその水のほとりで宿営した。"
出エジプト記 15章27節
アビブの月の15日に、イスラエルの民はエジプトを出ました。
そして、紅海を渡り、マラにたどり着き、さらに彼らはエリムに着きます。
そしてこのあと16章1節ではこのエリムをあとにしてシナイ方面に向けて出発し、「第二の月の十五日」すなわち一ヶ月目にシンの荒野に入ったとありますから、今日の箇所に出てくるエリムは、エジプトを出てからほぼ中間、二週間目くらいのところだったのではないでしょうか。
紅海を渡ってから三日経って、あの苦い水のあるマラに着いています。
マラでは水が飲めるようになったとは言え、イスラエルの民はそこに落ち着く間もなく出発したと思われます。
そしてやっと着いたこのエリムには十二の泉がありました。
それはおそらく二百万の民を潤すのに十分だったのでしょう、。
そしてそこには、七十本のなつめ椰子があったと記されています。
ナツメ椰子というのは、イスラエルの民の代表的な食料でした。
やっと一息つけるところにたどり着いたという感じです。
それにしてもこれから先のことを考えると、それは決して安心できるとは言いがたい状況です。
安心できる状況ではないけど、必要最低限は満たされている・。
本当に「主にのみ」依り頼んで出発するとき、私たちの信仰生活もこのようであるのかもしれません。
何も保証されるものがない・・。
しかしそこには私たちの全てをご存知の全能の主がおられ、今こうして生かされている・・。
それは実は、何も保証がないのではなくて、私たちの歩みにかかわる完全な保証がそこにはあるということなんですね。
そしてそれは「死」をも含む、その先の永遠に向けての保証でもあるのです。
私たちは、不安の中に置かれていたとしても、完全な保証をいただいている者なのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)