" 主が命じられたことはこうだ。『自分の食べる分に応じて、一人当たり一オメルずつ、それを集めよ。自分の天幕にいる人数に応じて、それを取れ。』」" 16章16節
" しかし、彼らはモーセの言うことを聞かず、ある者は朝までその一部を残しておいた。すると、それに虫がわき、臭くなった。モーセは彼らに向かって怒った。" 16章20節
毎日天から降るパンについて、主はひとり当たり一オメル(約2.3リットル)ずつと定められました。それはひとりの人の一日分の量です。
それで人々は自分たちが食べる分に応じて集めました。
そしてモーセは、「それを朝まで残しておいてはならない」と言いました。(19節)
しかしそのことばを守らない人がいたというのです。それが今日の後半の20節です。
彼らはなぜ朝まで残したかというと、それは「蓄える」ためでした。
蓄えるというのは、いざというときのための備蓄です。
主はそれをするな・・と言われたわけです。
一日分しか取らない・・私たちがその場に置かれたら、おそらくものすごい誘惑に駆られたのではないでしょうか。
明日も天からマナが降る確証は、どこにもないのです。
それは言ってみれば、信仰がなければできないことです。
その信仰とは、「日々の糧は主が与えてくださる」という信仰です。
モーセは、余計に貯めた人たちに対して怒った・・とあります。
それはその人たちが主への信仰よりも、自分を守ろうとすることに心を奪われたからです。
この大きな会衆は、主を信頼することで一つとなるのです。
そしてそれが、一番大きな守りの力となるのです。
なぜなら、主だけが頼るべき唯一のお方なのですから。
主への信仰によってひとつになること・・それはこの大きな会衆が確実に約束の地へと導かれるためには、絶対的に必要な条件だったのです。
ここから得られる教訓・・それは、教会は主イエス・キリストに対する「信仰によって」一つにならなければならないということです。
信仰によって一つとなったとき、私たちは教会の内に、主の大いなるみわざを見ることができるのです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)