" それで、彼はその場所をマサ、またメリバと名づけた。それは、イスラエルの子らが争ったからであり、また彼らが「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、主を試みたからである。"
出エジプト記 17章7節
水がなくて民の不平が募(つの)り、モーセは石で打ち殺されそうになりました。それでモーセは主に助けを叫び求めます。(4節)
その時主はモーセに言われました。
あの杖をもって長老たちを連れてホレブに行き、そこで彼らの目の前でホレブの岩を打て、そうすればとその岩から水が出て、民はそれを飲むから・・と。(5-6節)
そしてモーセはその通りにして、民は再び主の奇跡を見るのことになるのです。
主がモーセに連れて行くように命じた長老たち・・それは不平に満ちた民を治める立場の族長たちです。
彼らは言ってみれば、モーセと民の間で板挟みのようになっていた人たちです。彼らはその信仰が揺らいでいたに違いありません。
そうでなければ、この族長たちが民の怒りを収めたはずですから・・。
その族長たちがモーセに声をかけられ、ホレブの岩のあるところまで行って、その奇跡を目の当たりにしたというわけです。
モーセはホレブの岩のあるこの場所をマサ、またメリバと名付けた・・。それが今日の箇所です。
マサは「試み」、メリバは「争い」という意味です。
このような大きな恵みをいただくとき、民にとっていつもそれは試練のときであり、そこには争いがありました。
そしてそれは、これから後の民の旅路の間でも、ずっと見られたことでした。
前回と同じことですが、この旅路においては、主への信頼、すなわち信仰が欠かせない条件なんですね。
それも、個人個人の信仰です。
そして今回、それを最初に教えられたのが長老、すなわち部族を率いる族長たちだったというわけです。
教会においても、その指導者に求められるもの・・これもやはり「信仰」なんですね。
教会の人々が、指導者の信仰が守られ、強められるように日々祈るなら、教会は力強く成長していくのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)