" モーセが手を高く上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になった。
モーセの手が重くなると、彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いた。モーセはその上に腰掛け、アロンとフルは、一人はこちらから、一人はあちらから、モーセの手を支えた。それで彼の両手は日が沈むまで、しっかり上げられていた。"
出エジプト記 17章11~12節
アマレクとの戦いの最中、モーセとアロンとフルは、戦況が一望できる丘の頂に登り、モーセは主に向かって手を高く上げていました。
そして今日の箇所・・、モーセが手を高く上げている間はイスラエルは優勢になり、疲れて手を下ろすとアマレクが優勢になったというのです。
それでアロンとフルはモーセを石の上に座らせ、二人がそれぞれモーセの腕を、日が沈むまで支え続けました。
そうしたら、ヨシュアが率いるイスラエルの軍団はアマレクとその民を打ち破ったというのです。
モーセが主に向かって手を上げている間・・、それはすなわちモーセが主に心を向けている間ということです。
モーセが主に目を向けている間は、主はそこに御力を表されました。
しかしモーセが手を下ろす・・、すなわち主から目を逸らすと、敵の力が優勢になったというのです。
私たちは信仰生活の中で、主が働かれるのを体験することがあります。
しかしそれは、私たちが自分の目をはっきりと主に向けているときなんですね。
あの湖の上を歩いたペテロもそうでした。
ペテロは水の上に立っておられるイエス様を見て、イエス様が「来なさい」と言われたのだからという信仰だけで、水の上に足を踏み出しました。
そうしたら、なんとペテロは水の上を歩けたのです。
しかし、そこに吹いている強風に目をやったとたんにその風が恐ろしくなり、今まで水の上を歩いていたはずが、急に沈み始めたのです。
もちろんイエス様は、そんなペテロを助けてくださいました。
しかしその時のイエス様のことばは、「信仰の薄い者よ。なぜ疑ったのか」でした。(マタイ14:22-33)
私たちは、どんな状況にあるときでも、主を疑ってはならないのです。
崖っぷちに立ったとき・・、そのときこそが信仰を働かせ、主に目を留め続けるときなのです。
そしてそれが、私たちが主の御力を拝するときとなるのです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)