" モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、すべて彼が言ったとおりにした。
モーセはイスラエル全体の中から力のある人たちを選び、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民の上にかしらとして任じた。
いつもは彼らが民をさばき、難しい事件はモーセのところに持って来たが、小さな事件はみな彼ら自身でさばいた。"
出エジプト記 18章24~26節
モーセのしゅうとの祭司イテロは、モーセが民のトラブルをさばくために丸一日を費やしてその対応をしている姿を見て、こんなことをしていては、あなたもあなたの民も疲れ果ててしまう・・とモーセに忠告します。(13-23節)
それでイテロはある提案をし、モーセはその提案を受け入れた・・。それが今日の箇所です。
多くのクリスチャンたちには、神のご用に用いていただきたいという思いがあります。
しかしそれをいざやろうとしたとき、やることで一杯になってしまい、能力的にも体力的にもパンパンになって動きが取れなくなってしまうということがあります。
主は私たちを用いられるとき、それはあなた一人だけを用いるのではなくて、そこに主にある兄弟姉妹という助け手を与えてくださるんですね。
神はそのように人々を備え、用いられるのです。
モーセは謙虚にイテロの忠告を受け入れました。
このイテロは前の日に、モーセから出エジプトの経緯を聞き、そしてこの民を導いた神こそが真に礼拝すべき方であるということを認め、全焼のささげ物をささげたという、「主」に対する信仰に関して言えば、いわば駆け出しの信仰者だったわけです。
モーセはそのイテロの言うことに耳を傾けたのです。
神は私たちの周りに、そのように忠告してくれる器をも置かれるんですね。
そしてその器は、つい先日洗礼をうけたばかりの人かもしれない・・。
でもそのことばに謙虚に耳を傾ける・・。
モーセはそのような姿勢を持つ人だったわけです。
主にある働き・・、それはあなた一人でするものではないのです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)