" モーセが神のみもとに上って行くと、主が山から彼を呼んで言われた。「あなたは、こうヤコブの家に言い、イスラエルの子らに告げよ。
『あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲(わし)の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを見た。〜 」”
出エジプト記 19章3~4節
エジプトを出て三ヶ月目に入ったとき、民はシナイの荒野に入りました。
イスラエルはそこで、山を前にして宿営したとあります。(1-2節)
神である主はこのシナイ山において、イスラエルの民と約束を交わすのです。
今日の箇所がまず、その初めです。
モーセが神との交わりを持つためにひとりで山に入って行ったら、主が山から彼を呼んで言われたというのです。
それは、神がこの民全体に語ることをモーセに託すためでした。
まず神は民に、このように言われます。
あなた方は見たでしょう、わたしがしたことを・・。
それはエジプトのファラオに対する奇跡の連続、そして「あなた方を鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来た」のを・・と。
鷲の翼に乗せて・・。
それは地上を「歩く」のではなく、大空高く舞い上がり、一気に新しいところに連れて行くという意味です。
しかし実際には、民は様々な試練に遭い、その信仰を試されながらここまで来ています。
しかし振り返って見ると、それは「鷲の翼に乗せられてきた」としか言いようのない行程だったというわけです。
これはまさに、私たちの信仰生活の型そのものです。
私たちは様々な試練や壁に遭遇しながら、主に叫び、ふと気がつくと次の場所に立っている・・。
いつもそうなんですね。
私たちクリスチャンは、目の前がどのような状況に見えても、実は鷲の翼とも言える主の御力の守りのうちに、新しい地に向かって連れて行かれているのです。
そのことをいつも「信仰の目」をもって、主に目を留めつつ歩んでいきたいものです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)