" 主はモーセに言われた。「見よ。わたしは濃い雲の中にあって、あなたに臨む。わたしがあなたに語るとき、民が聞いて、あなたをいつまでも信じるためである。」それからモーセは民のことばを主に告げた。"
出エジプト記 19章9節
主は山からモーセを呼んで、契約の言葉を告げられました。
「今、もしあなたがたがわたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。」
モーセはこの主のことばを受け取り、山を下って民の長老たちを呼び寄せて、彼らに告げます。(7節)
それでそれぞれの部族を率いる長老たちは「私たちは主の言われたことをすべて行います。」と答えたのでした。(8節)
それでモーセは、その民(長老たち)のことばを受け取り、再び山に登ります。
その時主がモーセに言われたのが、今日の箇所です。
主は、民がいつまでもモーセを神の代理人として信じるために、すなわちモーセを軽く見ることのないように、主がモーセに語るときには濃い雲の中から語って、圧倒的なご自身の存在を示す、と言われたのです。
イエス・キリストによって新しくされた者、すなわちクリスチャンは、「世の光」「地の塩」としてこの世に置かれている者です。
しかしながらクリスチャンが主の旗印を明確にすればするほど、人々はあしざまに言ったり、石を投げたりしてきたわけです。
しかしこのモーセの上に主がなされたように、そこに主がご自身の栄光を現されたが故に、この二千年間、イエス・キリストの福音は地の果てにまで広がって行ったんですね。
そこには主の具体的な癒やしのみわざとか、聖霊の圧倒的な働きによる悔い改めなどがあったわけですが、主のみわざの筆頭といえば、それは実は「愛」なんですね。
私たちが神の器だということを現すために、主が与えて下さるそのしるし・・それは愛なのです。
この愛とはアガペの愛、すなわち人のいのちのために自分を犠牲にするという神の愛のことで、それは自分が一生懸命に力を振り絞って実らせるのではなくて、主イエス・キリストにつながることによって実る「御霊の実」です。
神は私たちを用いるためにまず与えてくださるのが、「愛」なのです。
ハレルヤ!(主の御名をほめたたえます)