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ドラマー市原康のなんじゃもんじゃ

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    1604談義2-3

 自分はクリスチャンですと言うと、よくこんな質問を受けます。・・神が愛の神なら何故戦争があるのか飢饉があるのか・・など、神は人の不幸を見ていながらなぜ何もしないのか・・というのです。

 ちょっと話は逸れますが、今の世において戦争も飢饉もそれは人災だという話を聞いたことがあります。近代の戦争はとにかくふたつの国や民族が互いに緊張状態にあることを望む一団、すなわち両者に武器を売って緊張を煽り、戦争になればその儲けが倍増する軍産と言われる一団と、それを後押しして利益を分かち合おうという人々によって引き起こされているのだというのです。金儲けのために戦争を起こさせようとする人々が巨大資本とくっついているとしたら、戦争がなくなる日など、夢物語にすぎないということになります。難民、あの人々の姿は弱者の代表で、莫大な利益をむさぼるそのような人々の犠牲になっている姿そのものです。飢饉も、世界の食料を人口で割れば、食料は十分にあるという話を聞いたことがあります。食料が十分に回らない何らかの理由がいつも紛争だったり搾取だったりする。これらはみな、ある一部の人たちの利益追求の結果として起きている「無くても良いはずのわざわい」で、それが世界中至る所で見られるというのが現実のようです。今、世界はほんの数%の人が、それ以外の全ての人の財産と同じだけの富を握っているのだそうです。もしその人たちがその財産を貧しい人たちや平和のために用いようとするなら世界は激変するでしょうが、そうではなくて戦争をさせたりすることで、さらに富を貯め込もうとするなら、世界は真っ暗でしょう。いや、どうもそれが今の世界の現実であるようです。日本人はその辺のところには驚くほど無関心と言うか、報道もされないので「世界の流れ」などについてはおよそ興味がないかのようです。今の世界の状況は人間の強欲の形がますます目に見えるように現れてきていると言っても良いのではないでしょうか。聖書には人は生まれながらの罪人だと書いてあります。基本的に自分中心なのであって、その人間が思うままに世界を支配している。そしてその欲はとどまるところを知らない・・これが今の世界の姿です。(聖書は支配している人たちだけが罪人だと言っているわけではなく、すべての人は・・と言っています。世界情勢から家族の関係まで、この罪の性質の支配下にあるというわけです。)

 では、全ての悲惨な事象が人の罪から発しているのかというと、勿論そうではなく自然災害などもあるわけです。それらも含め、今世界中の悲惨な状況の上に神がいるというなら、神はどうしてそれを許しているのか・・というのが世の人々の受け止め方なのではないでしょうか。神が全能なら悪人を罰し、自然災害だって全能の力によってコントロールすれば良いではないかというわけです。
 ところで私たちクリスチャンは神が全能であることを信じています。だから、神は思いのままに悪人を罰することも出来るし、自然災害だって、コントロールすることが出来ると信じています。だいたい天地万物=宇宙とその中のすべてのものを創られたのだったら、災害が起こらないようにすることなど、朝飯前なわけです。だとすると・・。そうです。神はこれらのことが起こっているのを承知しているということになります。そんな神なら要らないよ・・という声が聞こえてきそうですね。
 もし私たちが要る要らない、又いるいないで、神のことを決められるのだとしたら、それはもはや「神」ではなく、人によって考え出された「人にとって都合の良い存在」でしかありません。人間の手によるのであれば、それはすでに神ではないはずなのですが、人々が持っている「神」のイメージはどうもそういうもののようです。要するに、私たちにはもともと全知全能の神を神として認めるという発想がない。だから世の中の人は「神」という言葉を使っていながら、本当に神だとは微塵も思っていないので、神の話をしても全く通じ合わなかったりするわけです。

 クリスチャンは神のことを「父なる神様」とか、もっと親しみをこめて「天のお父さん」と言ったりします。神が私たちを造られたのならば、神こそがまことの父であり、本来親子関係で、父の家に住むのが当然である存在です。だからクリスチャンは帰るべき家に帰ったという感覚を持っています。ところが世の中の人は神に向かって「お前なんか親でも何でもないし、知らないよ」と言って背を向けているわけです。神が私たちの本当の父だとしたら、それはそれは悲しまれるのではないでしょうか。このようにクリスチャンというのは、世の中の人とは根本的に違う神概念を持っています。というより、本当に神を神だと思っているのです。神は人と同等ではない。クリスチャンは創造者である神と被造物である人という関係を認めた人たちなのです。

 それに関連して、死についてもクリスチャンは世の中の人たちとは違う概念を持っています。簡単に言ってしまえば、肉体の死はあるひとつの通過点であり、そのあとに世の終わりの時があって、その時には永遠の滅びか永遠のいのちのどちらかがあるというのです。そうなってくると、この世における肉体の死に対しての見方は大幅に変わってきます。その死に方が病気だろうと、災害だろうと、老衰だろうと・・。そして、悪事を尽くしても長生きする人がいれば、善人でも悲惨な最期を遂げる人もいる。また幼いときにいのちを失う子どももいる。こういうことに対しての受け止め方も当然見方が変わってくるわけです。簡単に言ってしまうと、死に方やその人の地上での生涯の幸不幸という事がらは、その先にある永遠への行き先を決めるものではない・・。クリスチャンはそういうところに立っている人たちです。

  旧約聖書にはイエス・キリストがメシヤ=救い主として来られることが書いてあります。イエス・キリストは今から二千年前の新約聖書の時代に人の子として登場しますが、旧約聖書の中の書物はその時代に最も近いものでも紀元前400年に書かれています。キリストが人の子として生まれる400年前です。さらに旧約聖書の中でキリストの十字架の様子が最も克明に書かれているのがイザヤ書という預言書ですが、これなどは700年も前の書物です。そして聖書には世の終わりのことが旧約聖書にも新約聖書にも書かれていますが、これは言うまでもなく、私たちが生きている今の世よりも後の話です。世の終わりに際して起きることの順番は色々な見解の相違があるようなので細かいことには触れませんが、世の終わりの前兆として確実に起きることとして、偽キリストの登場、戦争、民族や国同士の対立、方々に起きる飢饉と地震。クリスチャンに対する迫害などがあるとキリストは言われました。私は今から30年前に、民族が民族に敵対すると言われてもまるでピンと来ませんでした。今は民族とかいう時代ではなく、国と国の時代なのだ。やはり昔に書かれた書物だなと思っていました。ところが1991年にソビエト連邦が崩壊してからというもの、民族同士の対立は日常茶飯事のようになっています。それは予想だにしなかったことです。今の世界の流れと、聖書にある「終わりのとき」の流れと食い違う点を探す方が難しいくらいです。飢饉も地震も戦争も、収まっているものなどひとつもありません。イエス・キリストは「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。・・マルコの福音書1:15」と言われました。悔い改めよとは、まことの神を本当に認めよ、そして神に立ち返れ、ということです。神は今までずっと、人々のしてきたことを見てこられた。そして神は御子イエス・キリストを遣わし、私たちの罪の身代わりの贖いとして十字架につけ、これを見よと言われたのです。それまでイスラエルという特定の民族と神との関係の中で、民は結局神に従うことが出来ず、神を忘れ、祝福ではなく呪いを招くことを繰り返し、最後にはエルサレムの神殿は破壊され、イスラエルは完全に崩壊してしまうのですが、その40年前にキリストはこの贖いの手続きを完成させたというのです。しかも、それはイスラエルという特定の民のためではなく、世界のすべての国民のためだと神は使徒たちに教えられました。神とイスラエルとの契約はイエス・キリストの十字架以降、全世界の民との契約とされたのです。キリストは十字架上での最後の言葉として「完了した」と言われました。これはもう、神の前にいけにえの動物のささげものをして神との関係を保つという古い契約を終わらせ、新しい契約が完了したことの宣言です。キリストご自身が神の前の永遠のなだめの供え物となられたのです。そして、キリストは頭をたれて、霊をお渡しになり、葬られ、三日の後によみがえり、天に上られた。これが新しい契約の時代の始まりです。この神こそ、まことの神であり、世界中のすべての民の罪の赦しのために御子イエス・キリストにあの激しい苦しみを十字架の上で負わせられた・・ここに神の愛が形をとって現されたのだと聖書は言い切っています。神は愛です。でも、その愛は私たちが想像するようなところにではなく、「ここ=十字架の贖い」に神の愛が現されたのだというのです。
 全知全能の神は世の初めからこの全てを見据え、終わりまでを計画された。それが余すところなく記されているのが聖書です。そんな大胆なことが書かれた書物がもし作り話ならうっちゃっておけば良いですが、そうでなかったらこれはとんでもない書物で、私たちに差し出された問題は二択・・「信じるか信じないか」ということになります。

 今、熊本で被災した方々は本当に辛い毎日を送っておられることと思います。東北の被災者の方々も未だに元の生活を取り戻してはいません。神は何をしているのか・・。神が世の初めから決められたことは、滅びゆく魂のために御子イエス・キリストの、死とよみがえりのいのちそのままを私たちに与え、人々に神との関係の回復という死を超えた永遠の祝福を与えることでした。この愛の神が、今苦しみの中にいる熊本の人たちを愛していないわけがありません。神は涙を流しつつ、この最後の時を迎えようとされている・・。熊本だけでなく、大震災はいくつもあったし、これからも世界中でありそうです。また飢饉もあるし、戦争も止みそうにありません。今世界中の人が理不尽な死を迎えて亡くなっています。そしてそれはとどまることを知りません。悔い改めよ、悔い改めよ、神は生きておられる。神のところに永遠の命があり、全ての地上の困難、悲惨、苦しみからの解放と永遠の祝福があるのだと聖書は教えています。クリスチャンは生ける神の働きのためのしもべとして全ての社会生活の中で生きる者とされています。そして主なる神がこれほどまでに愛しておられるすべての人々にイエス・キリストこそが救いであることを伝えたいと願っています。だからクリスチャンは被災した方々にも愛をもって具体的な支援をし、そこに今も生きて働かれるイエス・キリストに人々が目を向けることを願って、神と人に仕えるわけです。

 熊本地震、神は何をしているのか・・。神は天地万物を造られた当初からの人類救済のご計画を愛の中で確実に進められている・・。これが答なのだと思います。

  
2016.05.02.Mon 12:55 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
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