
クリスマスが過ぎて一言。
今世の中ではクリスマスというと、ほとんど恋人と過ごす夜みたいなイメージが定着しているようです。 本来クリスマスはイエス・キリストの降誕を覚え、その結果何が起こり、それが自分とどういう関係にあるのかを思い起こし、そこにある大きな大きな恵みを・・本当は一年中毎日クリスマスでなければならないのですが・・思い起こし、愛と恵みの神に感謝し、神の御名をほめたたえる。そのような日です。そうは言ってもクリスチャンでない方には何のことだか、皆目見当もつかないことであると思いますので、ここに簡単に書きたいと思います。
イエス・キリストは、神の前に出るにはまったくふさわしくない者である私たちが、もともと帰るべきところであるところの父なる神のみもとに帰ることができるように、私たちのパスポートとなってくださったのです。パスポートは外国に渡航するのにその人の身分を証明し、そこにはお墨付きである日本国ならば外務大臣の言葉が書かれているわけです。この人を日本国民であることをここに証するので、貴国においてはよろしく扱ってほしいと・・。
イエス・キリストというパスポートには、神の前に出るに際してこんな言葉が記されています。わたしがこの者の罪を負い、受けるべきすべての罰としての十字架の刑を受けた。この者がどんなにふさわしくない者であっても、わたしがこの者の罪の代償を、鞭打たれ、唾をかけられ、殴られ、ついには死体が落ちないほどの太い釘で手足を刺し通され、十字架の上で激しい苦しみの中で死んだことにより、完全にあがなったのだ。ただわたしの故にこの者は父なる神の前に立つことができる・・と。
イエス・キリストは十字架上での務めを完了して死なれ、3日の後に弟子たちの前に、しかも500人以上の弟子たちに現れ、ご自身が復活されたことを示し、世の終わりまでいつまでも共にいると宣言され、天に上られた方。だからこの名が記されたパスポートは永久に父なる神の前に完全に有効なのです。有効期限もありません。このパスポートを持つ者は他のどんな資格によるのでもなく、そのパスポート「イエス・キリスト」によって神の国に入り、しかもこの御国にあるすべての富を相続する者とされるというのです。なんと大きな恵みでしょうか。
イエス・キリストは、神が天地万物を創造され、そして世の終わりの先に新しい天地を用意されているという、この大きなご計画の中での最も重要な印であり、神の愛の形として天から啓示されたものです。
ベツレヘムに生まれた赤子は、三十数年後に私たちの罪のあがないとなるために、人の子という形をとって地上に来られた救い主の姿なのです。
この大いなる奇跡を思い、神の御名を怖れ、そこにある愛と恵みを覚える日、それがクリスマスを祝うことの本当の意味です。
毎日がメリークリスマス!
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