聖書のことば #2
" 義人はいない。一人もいない。"
ローマ人への手紙 3章10節
義人とは、神の前に正しいと認められる人のことです。自分を義人だと言える人は、相当自分に甘い人だと言えそうですね。
創世記には、アダムが神に逆らってエデンの園を追放されるという話が出てきます。人類のスタートが、神から離れてしまうという悲劇から始まったのだというのです。神が人を造られたのならば、神はお父さんと呼ぶべき存在なのに、それをどうしても認めようとしない人間としてスタートしてしまったというわけです。
もちろんお父さんから見たら、それはとても悲しむべきことです。自分の子が自分を顧みてくれないのです。聖書ではこれを罪人(つみびと)と言っています。
神から離れて、自分を善悪の判断の基準にする。すなわち自分を神とするという傲慢な性質の結果、人は罪を犯すのだというのです。この世のすべての悲惨もその結果だというのです。
人は罪を犯すから罪人なのではなくて、罪人だから罪を犯すというわけです。
ではその事態に、神は何をされたのでしょうか。これが、聖書に書いてあることです。
続きは次回、「死んでいたのに生き返った息子」です。
God Bless You !
" 義人はいない。一人もいない。"
ローマ人への手紙 3章10節
義人とは、神の前に正しいと認められる人のことです。自分を義人だと言える人は、相当自分に甘い人だと言えそうですね。
創世記には、アダムが神に逆らってエデンの園を追放されるという話が出てきます。人類のスタートが、神から離れてしまうという悲劇から始まったのだというのです。神が人を造られたのならば、神はお父さんと呼ぶべき存在なのに、それをどうしても認めようとしない人間としてスタートしてしまったというわけです。
もちろんお父さんから見たら、それはとても悲しむべきことです。自分の子が自分を顧みてくれないのです。聖書ではこれを罪人(つみびと)と言っています。
神から離れて、自分を善悪の判断の基準にする。すなわち自分を神とするという傲慢な性質の結果、人は罪を犯すのだというのです。この世のすべての悲惨もその結果だというのです。
人は罪を犯すから罪人なのではなくて、罪人だから罪を犯すというわけです。
ではその事態に、神は何をされたのでしょうか。これが、聖書に書いてあることです。
続きは次回、「死んでいたのに生き返った息子」です。
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