
残された時間をどのように使おうか、、、それが切実な課題になりつつある今日この頃。時間は少しも無駄には出来ないと思う。でもそれは、寸暇を惜しんで出来るだけのことを目一杯やるということではなくて、むしろ何かに追われるようにして忙しい時間を過ごすような生活をしている場合ではない・・という意味。
忙しい間は「充実」という言葉の意味を考えずに済んでいた。でも今、時間を無駄には出来ないと思うようになって初めて、、、空気を感じていたい。季節を感じていたい。植物を愛でたい。妻と共にいる時間が幸せであることをいつも感じていたい・・それを宝物のようにしたいという思いが、どこから来たのだろう、、沸々とわきあがってくる。
創造的な仕事というのは、どんなに考え、熟達し、そして出来上がったとしても、その人の持つ風呂敷以上のものは何も出来やしない。結局そこに尽きる。どんな形や顔をしていたって、そこに尽きる。だから、、いつも静かにすべてを受け取る者でなきゃあいけない。頭のまわりが大海原だと感じられるくらいに。そこに自分の身をあずけられるように、いつもいたい。そうしないと、せめて自分を自分の大きさにまでふくらますこと、、それさえ出来なくなるんだから。
今悔やまれることがあるとしたら、、それ、、かな。それをしてこなかったこと、、それを大切なこととして慕い求めてこなかったこと、、かな。
もし人が自分を自分の大きさまでふくらますことができたら、、、その人は、自分が出来る得る最大の仕事をする人になると思うんだ。もしみんなが、与えられた感性を100%活かす人だとしたら、すべての人が一流になるさ。すべての人がが天才であることがわかる。しかもみんな、全然似てないんだ。みんなが見たこともないものを作る人になる。。僕はそう思っている。神さまがつくられたものっていうのは、そういうものなんだ。だから僕にも義務がある。僕をふくらます・・という。残された時間を使って・・・。