G-Cafe 聖書のことば #83
【誰も誇ることがないため】エペソ2:1-9より
今回は、もう一度前回の8節と、それに続く9節を、合わせて見てみます。
" この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。
それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。
行いによるのではありません。
だれも誇ることのないためです。"
(エペソ人への手紙 2章8-9節)
「それはあなたから出たことではない」・・
この救いのシステムは、人の英知によって考え出されたものではない。また自分の良心とか深い洞察力とかによって得られるようなものでもない。神の賜物なんだ、というわけです。
賜物とは、何かに対する報酬ではなくて、一人一人の上に「恵みとして与えられる良いもの」のことです。
その人の行いがどうだこうだという次元のことではない、というわけです。
そしてそれは「だれも誇ることのないため」なのだというのが、最後にくる言葉です。
すなわち、だれも誇ることがないように、神はこういうやり方で人を救うことにしたのだ、というのです。
パウロはこう言っています。
"有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。
肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないようにするためです。
しかし、あなたがたは神によってキリスト・イエスのうちにあります。キリストは、私たちにとって神からの知恵、すなわち、義と聖と贖いになられました。
「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。"
コリント人への手紙 第一 1章28~31節
神が人を用いられる時には、「取るに足らない者、見下されている者」を選ばれるのだというのです。
何か良いところがあるとその人は、神の前に、自分が何か資格があるから選ばれたのだと勘違いするから、そういう人は選ばないというのです。
私たちは、神を信じてどうなったのかというと、ただキリストのうちにあって、生かされているだけ。だってキリストが私たちにとっての「知恵と、義と聖とあがない」そのものなんだから・・と、そういう人になったんですね。
だから、もし何か誇れるものがあるとすれば、主を誇る以外に何もない・・。
主にあって新しく生まれた者とは、そのような者なんです。
誰も誇ることがないためです。
誇る者は主を誇れ。
ここがある意味で、神が導かれるゴールなんですね。
主なる神の御名がほめたたえられますように!
祈り・・「主よ、あなた以外に私が誇りとしているものがあるなら、それが見えるようにしてください。」
今回でエペソ1-9シリーズは終わりにします。
主が聖霊を豊かに注いで、あなたを祝福してくださいますように!
God Bless You !