G-Cafe 聖書のことば #94
【神の計画の全貌】ヨハネの福音書その10
" 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。"
ヨハネの福音書 3章16節
この3章16節は、聖書全体を一言で言い表しているところとして、有名な箇所です。
「神は世を愛された」と書いてあります。
しかし、エペソ2章のシリーズでも見てきたように、
人は「御怒りを受けるべき子ら」であり、しかも「空中を支配する権威」を与えられているサタンの支配下にある者だと言っています。
ここがとても惑わされるところなので、何度でも書きますが・・、
「その人々」を、神は愛されたというのです。
元来、神と人は相思相愛の関係が前提で造られました。ところが「人」が家出をしてしまったんですね。
でも最後には、「人」が神のもとに戻り、「神の国の民」となる、というのが聖書全体の筋書きです。
そして、神の国の民となる人々は「キリストの花嫁」だというのです。
神の当初のもくろみである「相思相愛の関係」が、ここで初めて不動のものとなるというわけです。
なぜ神はそんなめんどくさいことをするのか・・。
最初から相思相愛のパラダイスを創り、そこに人を住まわせる・・。
そういう手もあるかとは思います。
しかし全能の神はもっと別の方法をとられたんですね。
神は暗闇の中に光を提示され、人がそれを「自分の決断で受け取るようにされた」んです。
そしてそれを受け取った人を、神はご自分の国の永久メンバーにすることに決めたんです。
こうして3章16節を見ますと、
神はなんと、ひとり子を世に送られた。それは何のためかと言うと、
人々がその御子キリストを信じることによって、滅びの運命「罪の奴隷」から救われて、永遠のいのちを持つ「神の国の民」となるためなのだ。
このようにして神は、ご自分に背を向ける世に対して、愛を表されたのである。
・・となります。
神がこの方法を取られたのです。私たち被造物は、このことに口を挟む権限はないんですね。
こんなみことばがあります。
「陶器師」は神で、「粘土」は人です。
" ああ、あなたがたは物を逆さに考えている。
陶器師を粘土と同じに見なしてよいだろうか。
造られた者がそれを造った者に「彼は私を造らなかった」と言い、陶器が陶器師に「彼にはわきまえがない」と言えるだろうか。"
イザヤ書 29章16節
すべては、神から始まったのです。
主が聖霊を豊かに注いで、あなたを祝福してくださいますように!
God Bless You !