G-Cafe 聖書のことば #120
【福音その6】滅びる者?
"神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。"
ヨハネの福音書 3章16節
このみことばは「聖書全巻をひと言で言い表したみことば」と言われる有名な箇所です。
前回は、救いとは「滅びる者であるところからの救い」なのだということを書きました。
それを初めて聞いた方の率直な反応は、「私たちは滅びる者なの?」ということなのではないでしょうか。
普通でしたら、自分は滅びる者だとは思っていないです。ところが、今日のみことばでは、神は私たちが滅びないで、永遠のいのちを持つために、御子を送って下さったと言っているんですね。
ここには 、「滅びる」ということばと「永遠のいのち」ということばが対比して書かれています。
死・・、それは全ての人に必ずやってくるものです。しかし最初はそういう予定ではなかったことが、聖書に書かれているんですね。
アダムが神の言葉に逆らって「善悪の知識の木の実」を食べてしまった時、神のアダムに対する宣告の中にこんな言葉があります。
" あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。
あなたはそこから取られたのだから。
あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」"
創世記 3章19節
この時から「人」は死ぬ者となったというのです。
「神が共におられる」というエデンの園は、そこに生かされていること自体が「永遠のいのち」なのだという話なんですね。
この世に生きる人は、そのまことのいのちを損なった者だというわけです。だから生きていても、その意味がわからないのです。
神の全計画は、この失われた永遠のいのちを、御子を送ることによって「人」に回復させるものだというのです。そしてそれが具体的に実現するのが、終わりの日に続く「神と共に生かされる天の御国」だというわけです。クリスチャンというのは、この地上でその前味を味わいながら生きている者なんですね。
人類は、まことのいのちを損なった者として、アダム以来その歴史を刻んできた・・、これを「罪人(つみびと)」と呼ぶわけです。
人は罪を犯したから罪人になるのではなく、罪人だから罪を犯すんですね。
世の中のすべての不幸や悲惨や暴虐は、罪人のなせるわざだというわけです。
私たちは罪人で、滅びる者として生を受けているというのです。しかしイエス様は言われました。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」(ヨハネの福音書 14章6節)
イエス・キリストという存在がいのちであって、その存在自体が「父のみもとに行く」ことだというのです。
イエス・キリストは、滅びに定められている私たちに、神とともにあるという、まことのいのちを回復させるために来られたんですね。
God Bless You !
(神様の祝福がありますように!)