G-Cafe 聖書のことば #128
【福音その13】十字架4 病を負われ
" 彼は痛めつけられ、苦しんだ。
だが、口を開かない。
屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
虐げとさばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことか。
彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと。"
イザヤ書 53章7~8節
このイザヤ書53章は、旧約聖書にあるメシヤ預言の中でも、十字架の様子を最も克明に言い表しているところです。
このイザヤ書はイエス様がお生まれになる700年前に書かれたものです。旧約聖書には「来るべき方」の預言が星のように散りばめられています。そのひとつひとつが実に正確に書かれているんですね。
さて、ここではキリストの悲惨な姿が描かれています。まさにイエス様が十字架にかかられた時の様子です。
イエス様は鞭打たれ、唾をかけられ、祭司長や長老たちの訴えには何もお答えになりませんでした。(マタイ27章)
まさに「彼は痛めつけられ、苦しんだ、・・ほふりばに引かれていく羊のように・・口を開かない」とある通りです。
そして、彼の時代の者はイエスの姿を見て、それが「民の背きのゆえに打たれ、死なれた」のだと思うような者は一人もいない・・と書いてあるのです。
イエス様と3年以上も共に過ごした弟子たちでさえ、イエス様の十字架を目の前にして、このイザヤ書に思いが至った者は、一人もいなかったのです。
このイザヤ書53章は、12節までという短いものですので、ぜひ全体をお読みになってください。
その方、来るべき方は、「痛みをになった」「罰せられた」「悲しみの人」「蔑まれた人」「打たれた」「苦しめられた」「砕かれた」「病を負わせられた」・・。
イエス・キリストはこのすべてをその身に負われたというのです。
キリストは、信じる者の内に入ってくださり、「古い人」の死と、よみがえりがそこに実現するのだと、前回書きました。
ですから、これらの境遇に立たされる私たちの内にも、キリストがそのすべてを負ってくださったということが現実になるのです。
主と共に歩む者には、状況と関係のない平安が伴うというのは、こういうことなんですね。主がそれらすべてを負ってくださり、そして死をも負って下さったのです。
そして、そのすべての力を打ち破ってよみがえられたのです。
主を信じる者の内に、そのことが実現するんですね。
God Bless You !
(神様の祝福がありますように!)