G-Cafe 聖書のことば #131
【福音その16】予想していなかった道
" それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。"
ローマ人への手紙 6章4節
今日は、前回と同じ箇所の後半を特に見ていきたいと思います。
人は、イエス・キリストを自分の内にお迎えすることによって、キリストとともに死に、キリストとともに新しく生まれ変わるということを見てきました。
そこにあるのは、罪の赦し、罪と死とさばきからの解放、恐れからの解放、永遠のいのち、永遠の住まい、希望、喜び、そして神と人とへの愛。そして、主なる神ご自身。そう。主ご自身が共にいる人になるなんです。
イエス・キリストを救い主として信じるということが「義」すなわち神の目から正しいことだと認められ、これらすべてのものが「恵み」として与えられるのです。
恵みとは、およそふさわしくない者に与えられるという意味です。
これが福音ですが、今日の箇所には、それは「新しいいのちに歩むため」なのだと書いてあるわけです。
新しいいのちに歩むということは「ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたよう」だと言っています。少し難しい言い回しですね。
人の子として来られたイエス様は死なれました。その死からのよみがえりは、御父の栄光の表れだというのです。そして私たちも「それと同じように」新しいいのちに歩むのだというのです。
死んでしまった自分を、完全に主なる神に明け渡すことによって実現する歩み・・それが神の栄光を表す「新しいいのちの歩み」だというわけです。
私たちは神様のところに立ち返った後にも、自分の考えで歩もうとしますが、そんな私たちの上には、私たちが思ってもいなかったような神の計画があるとしたら、どうしますか ?
私たちが自分の計画を捨てて、もっぱら神の計画のために自分を使っていただこうと、自分思いや計画を神様に明け渡すとき、そこに神の栄光を現わして歩む道があるというのです。
私たちクリスチャンは、主の心をいただくと、今までにはなかった「良いこと」を考えるようになったりしますが、気がついたら神様を脇に置いて、自分で立てた計画の中を一生懸命に走っていたということがよくあります。
それは言ってみれば仕方のないことです。しかし神様はそんな私たちに「静まる」ということを教えてくださっているんですね。
「部屋の奥まったところ」で主と二人きりの時間を持ちなさい・・と。
新しいいのちに歩む・・それは、死んだ者の上にある、自分の考えで歩むのとは全く違う、別の世界への神様からのいざないなんですね。
" あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。
そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。
そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。"
マタイの福音書 6章6節
God Bless You !
(神様の祝福がありますように!)