G-Cafe 聖書のことば #186
山上の垂訓・第5回
【満ち足りるための条件】イエス様のことば 11
" 義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。"
マタイの福音書 5章6節
キリストに従おうとする者への言葉「幸いな者」シリーズの4つめです。
今日のテーマは「満ち足りるという約束」です。
イエス様は、義に飢え乾く者は満ち足りるようになると言われました。これは約束であり、保証なんですね。
満ち足りるとは、必要なものについて、不足しないという以上に満ちて溢れるばかりになるということです。
「義に飢え渇く」とは、どういうことでしょうか。
義というのは、簡単に言ってしまえば「正しさ」です。しかし、人によってその尺度は様々ですよね。ここでいう「義」とは、神の目から見ての「正しさ」です。
イエス様を救い主として信じる者は、その信仰が「義」とされるのだと、聖書は言っています。だったらもうこれ以上に渇く必要などないでしょう・・ということになってしまいます。しかしここでは、すでにイエス様に従っている人・・その人が義に飢え渇くことについて言っているんですね。
もしそのような義があるとするなら、イエス様が言われた二つの大きな戒めにヒントがあるかもしれません。二つの大きな戒めとは、主なる神を心と思いと力を尽くして愛すること。そして、隣人を自分自身のように愛すること。
このことをとにかく第一に求めることとして主に従っていくこと・・。それをするなら、あなたは神の目から見て「正しい」とされるのだと、イエス様は言われているわけです。
ここで言われていることは、そのことに「飢え渇いているか」ということなんですね。
神が喜ばれることを、どのくらい強く自分の喜びとしているか・・。
義に飢え渇く者は・・と言われるときには、そこを問われているわけです。
そして、神の思いと自分の思いが一つになることを切に求める者は、必ず満ち足りるようになるんだよ・・というのが、今日のみことばの約束であるわけです。
飢え渇くというのは、それが足りなくて、からっからになって、死にそうになっている状態です。
その心をいただいている者・・それは本当に幸いだというんですね。その人は必ず満ち足りるようになる・・。
聖書には、その戒めを行う者となるために何をすれば良いか、いろいろな答えが書いてあります。
それは自分を主に預け、主を信じて主と共に歩むなら、神の栄光を映し出す者として変えられて行く。また、熱心になって聖霊を求めなさい。また絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。みことばを慕い求めなさい・・と。
この原動力は、やはり渇きなんですね。それは神を愛したいという渇きです。
なぜ、そんな渇きがやってくるんですか・・。
それは、神が御子を送ってくださり、神に背を向けていた私が父のもとに帰るためにいのちを差し出してくださったという、このあり得ないほどの大きな愛を知るからなんですね。
ということは「満ち足りるための条件」は何かというと、どれだけ神の愛を大きなものとして受け取っているか・・なんですね。
その人は、愛で、喜びで、希望で、確信で、、、満ち足りるようになるのだと、イエス様は約束されているわけです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)