G-Cafe 聖書のことば #190
山上の垂訓・第9回
【義のために迫害されている者】イエス様のことば 15
" 義のために迫害されている者は幸いです。
天の御国はその人たちのものだからです。"
マタイの福音書 5章10節
イエス様が弟子たちに言われているという前提で、ここまで7つの「幸いな者」を見てきました。そして今回が最後の八つ目ですが、ここでいよいよ、キリストに従う者に向けて言われているということが鮮明になります。
義のために迫害されている者については、この後さらに二節を用いて語られています。その迫害とは、人々にののしられる。ありもしないことで悪口を浴びせられる。過去の預言者たちが受けたと同じような迫害を受ける・・というのです。その時に、その者は幸いだと・・。
天の御国はその人たちのものだから。天での報いは大きいから大いに喜びなさい・・となります。
改めて「義のために迫害されている者」について考えてみますと・・
義とは、「神が良いとされること」です。そしてそのことのために迫害されるというのです。
神が良いとされていること。それは人に関しては次のようなことです。
まずは人が聖であること。そして聖くない状態に対しては見逃すことができないということ。そしてそのためにご自身が備えられた「赦しの道」を人が受け取ること。これが「神が良しとされること」なんですね。
すなわち、人は神の前に赦されるものではないけど、特別な方法で「赦す者」を選び出し、聖い者としてご自身のもとに帰らせるという、一見逆のことが同時に存在している・・これが「神の義」なんですね。
そのために具体的な道を備えられた方・・それが御子イエス・キリストです。
ですから、義のために迫害されてるというのは、イエス・キリストの故に迫害を受けるということに他なりません。
そしてその者は天の御国を受け継ぐというのです。さらに「天においてその報いは大きい」(12節) と。
このことばには、天における報いには大小があることを予感させます。そしてそのことをさらに強調するように、このあとの19節には「天においての偉大な者と小さい者」(マタイ5:19) という言葉が出てくるんですね。
これはびっくりですね。イエス様によって救われ従っていく者には、みな天の御国を約束されているけど、その働きに応じての報いには差があるというわけです。
イエス様は、ご自分に従っていこうとする者は、迫害を受ける、ののしられる、ありもしないことで悪口を浴びせられる、と言われたのです。
すなわち、この世において、神のしもべには苦難が伴う。しかし天における大いなる報いを期待して、この世で受ける苦難を受け取りなさい・・。イエス様は、弟子たちに向かってそう言われたんですね。
わたしに従う者には苦難が伴う。しかし死の先には、気休めではない具体的な、その働きに応じた報いがあるのですよと・・。
このことをイエス様は、弟子たちにあらかじめ言われたわけです。
聖書はこの世における価値観をひっくり返してしまうんですね。
神の与えられる「希望」は永遠の中での話なのです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)