G-Cafe 聖書のことば #194
山上の垂訓・第13回
【無理ないましめ】イエス様のことば 19
山上の垂訓・第13回
" ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。"
マタイの福音書 5章48節
イエス様の山上の垂訓と言われるところに入ってから13回目になりました。
今日のテーマは「無理ないましめ」です。
このイエス様の説教は、一般の人に対してではなく、弟子たちに対してであるという観点から、一つずつ見てきました。
そしてこれらのことを考えるときにイエス様は、「パリサイ人や律法学者」を物差しとして見せられた、というのが前回です。
あなた方はパリサイ人や律法学者を何か偉い存在のように思っているかもしれないが、その内側を見るのでなければ全てを見誤るから気をつけなさい・・というわけです。
そしてこの後に、有名な箇所がいくつも出てきます。「兄弟をバカ者というな」「情欲の目で女を見るな」「姦淫以外の理由で離縁するな」「誓うな」「悪い者に手向かうな」「自分を迫害する者のために祈れ」・・
これらは、私たちには到底できそうもないことばかりです。そしてその共通点は、心のコントロールということなんですね。
そして、これらの話の最後にまとめのようにして言われているのが今日のみことば・・天の父が完全であるように、完全でありなさい・・です。
結局、心をコントロールできるならそれは「完全な人」であるのかもしれません。でもこれらはほとんど「でき得ない」ことばかりです。
所詮私たちは、天の父「神」のように完全になれるわけがない・・これが普通に行き着くところです。
それでもイエス様は「完全でありなさい」と言われたんですね。
イエス様が人々に言われたこと・・それらはわけがわからないこと、できそうにないことばかりだと言っても過言ではないように思います。
ところが・・です。イエス様が十字架で死なれ、よみがえって天に上られ、そして弟子たちの上に激しく聖霊が下った・・その時に、あのわけがわからない話の意味が突然開け、見えるようになり、また、この世的な欲の中にいた弟子たちが完全に変えられ、その心は主なる神にのみ向く者とされたんですね。
イエス様が言われたことはみな「あらかじめ」なんですね。後になって、ああこういう意味だったのかとわかる・・。それは聖霊によってわかるものであるわけです。
要するにこれらのことは、イエス・キリストを救い主として自分の内にお迎えして後のことだ、というわけです。
今日のみことばをよく見ると、「あなた方の天の父」と言っています。それは「信じた者」というのが前提の話だということです。
その意味は次のみことばに集約されています。
" イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」"
ルカの福音書 18章27節
あなたを変えるのは、あなたの努力や力ではなく、神なのだということです。
わたし(イエス・キリスト)を信じる・・ここが完全になる入り口なんですね。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)