G-Cafe 聖書のことば #196
山上の垂訓・第15回
【レッテル貼り】イエス様のことば 21
" さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。
あなたがたは、自分がさばく、そのさばきでさばかれ、自分が量るその秤で量り与えられるのです。
あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。
兄弟に向かって、『あなたの目からちりを取り除かせてください』と、どうして言うのですか。
見なさい。自分の目には梁(はり)があるではありませんか。
偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。
そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取り除くことができます。"
マタイの福音書 7章1~5節
6章では、人の行動に隠れている「下心」を見ました。そして今回のこの箇所「さばいてはいけません・・」は、心の奥で王様のように振舞っている「傲慢」の指摘です。
ここで言う「さばく」とは、人を評価するという意味です。
そして、さばいていたら同じように厳しい目で人からの評価を受けることになりますよ、というのです。評価をするというのはいわゆる「レッテル貼り」をすることです。それは、あの人はああいう人なんだからと、人の評価を固定してしまう行為です。そしてそれが自分に返ってくるというのです。
人を量る人は、自分が量られて、自分自身も身動きが取れなくなってしまうんだよと言っているわけです。
あなた方は、人の目にあるチリはよく見えるくせに、自分の目の中に梁があることには気がつかない・・。梁とは、天井に使われる太い丸太です。
それは、あなたの目には梁が入っていて、見えるものも見えない状態であることに、あなたは気がついていないのだという指摘です。
そしてまずそのことに気付きなさいというのです。そしてその梁を取り除けば、目に入っているチリで困っている人を助けることができるというのです。
目にチリが入るとは、小さなことで物事がよく見えなくなってしまっている状態なのではないでしょうか。自分の目に梁が入っていたら、そんな人を助けようと思うこと自体がお門違いですよ、というわけです。
この梁・・どうやって取り除くことができるのでしょうか。
聖書は、すべての人は罪人(つみびと)だと言っています。それはあなたを愛する神がおられるのに、その神から離れ、自分を中心にして物事を見て、すべてを自分で解決しようとする人で、そこには必ず罪があるというのです。
自分がこの罪人であることを認めること・・実はそれが「自分の目にある梁」を認めることなんですね。それは人の弱さや愚かさというものが自分の中にも基本的にあるのだということを、はっきり認めるということなんです。
偽善者・・それは自分が罪人であることを認めていない人のことです。
梁を取り除く・・それは自分ではできないことなんですね。しかし、その罪を背負ってくださったイエス・キリストの十字架はそのためだったんだと知る時、それが梁を取り除く時なんですね。そしてそのイエス・キリストをあなたの内にお迎えする時、それがあなたの内に実現するのです。
祈り・・「神さま、私の目に梁があること、罪人であることを、もっとよく知ることができますように。」
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)