G-Cafe 聖書のことば #236
【用心しなさい】イエス様のことば 61
"人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを地方法院に引き渡し、会堂でむち打ちます。
また、あなたがたは、わたしのために総督たちや王たちの前に連れて行かれ、彼らと異邦人に証しをすることになります。"
マタイの福音書 10章17~18節
このとき遣わされた十二弟子たちに、このようなことは起こりませんでした。この注意は将来的なこととして語られていることがわかります。
実際にこの弟子たちは、イエス様が天に上られた後に聖霊を受け、その時からイエス・キリストを宣べ伝えることになるわけですが、その時からクリスチャンへの迫害は始まり、それによって殉教する(殺される)人は今も後を絶ちません。
イエス様は、そのための備えとしての話を始められます。
今日のテーマは「用心しなさい」です。
イエス様は「人々には用心しなさい」と言われました。捕らえられる可能性があるという話です。
しかしこの話は「彼らと異邦人に (イエス・キリストを) 証しをすることになるという話ですので、用心して捕まらないようにしなさいということではないようです。
だったらそれはどういう意味なのでしょうか。
用心しなさい・・それは、人々に心を開いてしまって自分を任せてしまわないように注意しなさいという意味だとしたら、話がつながります。
人々に心を開くな・・。それは愛のない冷たい態度のように受け止められるかもしれませんが、そうではないんですね。
イエス様は人々が自分を十字架にかけることをご存知でした。イエス様はその人たちを心からあわれみ愛しておられましたが、それは心を開くというのではなく、神とその人との関係について正しいことをはっきりと示し、その人が本当に「生きる」人となるために、反感を買おうが、殺されようが、するべきことを全てされた・・これがイエス様の人々への姿勢だったわけです。
そしてここに神の愛があるのだと、聖書は言っているのです。神の愛は滅びゆく人々を救うという愛なんですね。
聖書は、人々は自分の背きと罪の中に死んでいる者であって、神に敵対する霊に従って歩んでいる者だ、と言っています。 (エペソ2:1-2参照)
ですからもしその人々に対して心を完全に開いてしまうなら、聖霊とは異なる霊の世界に自分を預けることになってしまうわけです。
彼らに心を開くのではなく、彼らにまことの命を受け取ってもらうために・・人々には用心しなさい・・すなわち、人々がどのような世界の中に生きているのかということをはっきり見分け、その上で人々に接しなさいというわけです。
それこそが、神の愛に基づいた行いだというのです。もちろんそこには、思いやる心や優しい心遣いは必要ですけどね・・。
まことの愛・・それは人々の目には見えないかもしれません。しかしイエス・キリストという救いをいただいている者は、この神の愛の上に立つことが求められているんですね。
用心しなさい・・それも愛に基づくみことばなのです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)