G-Cafe 聖書のことば #242
【何をいただいたのか】イエス様のことば 67
" ですから、だれでも人々の前でわたしを認めるなら、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。
しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも、天におられるわたしの父の前で、その人を知らないと言います。"
マタイの福音書 10章32~33節
前回の一羽の雀の話は、神はあなたをちゃんと認めておられ、あなたのいのちの保証をしておられるのだから、恐れる必要はないのだ・・ということでした。
その流れで「ですから・・」という言葉で始まっているのが、今日のみことばです。
今日のテーマは「何をいただいたのか」です。
わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます・・。
イエス様が「父の前」でその人を認めると言われているのですが、聖書の中に、実際にそのことが起きる場面が書かれているところがあります。
それは、黙示録21章に見られる「新しい天と新しい地」が出現する前の「白い御座のさばき」(20章11節) です。そこには「いのちの書に名が記されている者」だけが、新天新地に迎え入れられるとあります。
「人々の前でわたし(キリスト)を知らないという者」・・、それは「知っているのに知らないという者」です。すなわち、キリストを救いとして受け取っていながら、それを隠す者(クリスチャン)のことなんですね。その人はキリストから「あなたを知らない」と言われる・・。
これが最後のさばきの座での出来事だというのです。
クリスチャンが神から受け取ったもの・・それは適当に腹に納めておけばいいという類のものではないんですね。
あなたは、天にまで持って行ける宝をいただいたのです。それは地上で朽ちてしまう宝とはわけが違うまことの宝。そしてその宝は、すべての人が受け取れるように用意された宝なのです。それをあなたは、他の人より先にいただいたんですね。
ですから、それを隠しておくのだとしたら、それは自分だけ良いものをいただいておいて、人に対してはその道を閉ざそうとするという行為になってしまいます。
私たちクリスチャンは、この地において「いのちの永久保証」をいただいたのです。
ですから・・という言葉で始まるきょうのみことばは、そんなに大きなものをいただいたのだから、他の人にそのことを伝えるのは、与えてくださった方に対して最低限の務めでしょう・・ということなんですね。
イエス様が天におられる父の前で、その人を知らないと言わなければいけない・・そんなことがあれば、それはイエス様にとってどれだけ大きな悲しみでしょうか。
祈り・・「主よ、あなたがどれほどの大きな愛をもって、どれほどのものを与えてくださったのか、それをもっと深く知ることができるようにしてください。イエス・キリストの御名によって、アーメン。」
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)