G-Cafe 聖書のことば #246
【宮よりも大いなるもの】イエス様のことば 71
" あなたがたに言いますが、ここに宮よりも大いなるものがあります。
『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、咎のない者たちを不義に定めはしなかったでしょう。
人の子は安息日の主です。」"
マタイの福音書 12章6~8節
今日のテーマは「宮より大いなるもの」です。
パリサイ人たちは、イエス様の弟子たちが空腹を覚え、通り過ぎる麦畑から穂を摘んで食べるのを見て、律法を破る者として彼らを批判しました。
そのパリサイ人に対して、イエス様はダビデがしたことを引き合いに出して言われました。(3-4節) ダビデと供の者たちが空腹になった時にしたこと・・、それは宮の中で祭司以外には食べてはならないパンを食べたということでした。
その時祭司アビメレクは、ダビデたちが「女たちから身を遠ざけて聖別された状態」ならそれを許しましょうと言って、そのパンを彼らに与えます。それは神から与えられた祭司としての権限でした。
この話をしてからイエス様は「あなたがたに言いますが、ここに宮よりも大いなるものがあります。」と言われました。言うまでもなくそれはイエス様ご自身のことです。そして最後には「人の子は安息日の主です。」と言われたのです。
あなたの目の前にいるわたしは、あのダビデがパンを食べた神の宮よりも、そこで仕える祭司よりも大いなるものなんだと言われたわけです。そしてこのわたしが「弟子たちが麦の穂を摘んで食べること」を許しているのだと。そして最後には「人の子は安息日の主です。」と言われたのです。
安息日とは、すべての仕事を休んで主なる神に目を向け、その大いなる方に心をとめる日です。イエス様は実にご自身が「その日の主」だと・・それはまさに、ご自身がキリストであり、神に等しい方であることを大胆に宣言されているということです。
そしてその主であるイエス様が、大切なのは「真実な愛。いけにえではない。」と言われたのです。
それは、あなたがた(パリサイ人)は神に対して忠実だと思って人をさばいているけど、それは神が求める真実な愛とは程遠い状態なのだという意味です。
こんなことを繰り返しているうちに、パリサイ人たちは最後にはイエス様を殺そうと思うようになります。
結局この問題の本質は、パリサイ人たちは目の前にいるお方を、「宮よりも大いなるもの」であるとはこれっぽっちも思っていなかった、というところにあるんですね。
自分の目の前にいる人が神に等しい方だと認めるなら、それだけで人は深い悔い改めに導かれるものです。
今の時代においても、人々はイエスキリストに関する情報を見せられるわけですが、まさかそれが本当の神の話であるなどとは、はなから思っていません。
人が神を受け入れる・・それは実に神によってなされる奇跡なんですね。
しかしもしあなたが、この恵み深い神を、本当に神だと受け止め、ただ心を向けさえするならば、神はあなたの心に触れ、あなたの心に「神を見る目」を与えてくださる・・その奇跡がその人の上に起こるんですね。
イエス・キリストは宮より大いなる方、まことの神の子なる神なのです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)