“「〜このように、後の者が先になり、先の者が後になります。」"
マタイの福音書 20章16節
今日の箇所は、ぶどう園で働くために出かけた人たちの話で、早くから行った者と、夕刻ぎりぎりに行った者がいて、それが賃金をもらったら同額だった、というショッキングな話の最後のところです。
イエス様はユダヤ人たちが自分たちは神の民であるということに安住していることを、常々厳しく糾弾されていました。イエス様の前に神に遣わされたパプテスマのヨハネもそのことを教えて、ユダヤ人たちに本当の悔い改めを説いていたわけです。
ユダヤ人たちは渇望していたメシヤ(救い主)が来られたというのに、そのキリストを受け入れず、結局イエス様を十字架にかけてしまいます。その彼らは「朝早くからぶどう園に行って働いていた人たち」でした。彼等はずっと以前からぶどう園で神に仕えて働く者だったんです。
しかし、彼らが夢にも思っていなかった「異邦人への救い」を、このメシヤであるイエス様は実現されるんですね。それが夕刻ぎりぎりになってぶどう園に行った人たちです。
結局異邦人と言われていたイスラエルの民ではない人々が先にクリスチャンとしての世界の主人公となり、ユダヤ人たちはあとになるわけです。
今になって、まことのメシヤ=イエス・キリストを信じるユダヤ人たちが急速に増えはじめています。
救いの順番が逆転しているんですね。
イエス様が語られることというのは、常に「終わりの時まで」を見据えての話なんですね。すなわち「天の御国」のことなんです。
このぶどう園の話の中で、私たち異邦人は、夕刻になってさあいらっしゃいと言われている者たちです。
先になるか後になるかは、選びの民であるユダヤ人たちへの警告であって、私たちにとって問題なのは、「そこに行くか、それともやめるか」なんですね。
もう夕刻なのです。
夕刻・・それはひとりの人の人生にとってみれば、死を目前にしている時とも言えます。
明日死ぬ人もぶどう園に行くなら、天における祝福と喜びとその報酬は・・選びの民としての一人前の報酬なんですね。
さあ今ぶどう園に、まことの救いと永遠のいのちが与えられるイエス・キリストのもとにいきましょう。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)