" それから、イエスは宮に入って、その中で売り買いしている者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。
そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている。」"
マタイの福音書 21章12~13節
イエス様がエルサレムに来られた目的、それは十字架にかかられるという、究極の目的を果たすためでした。
十字架は「神の前に、全世界のすべての人々のためにささげられる、罪の赦しのためのささげもの」です。
そうです。イエス様ご自身がささげものになる・・これがあの十字架です。
それは天地宇宙の始まりから終わりまでの間において、神の前にささげられる最も壮大で神聖な礼拝でした。
イエス様は神へのまことの礼拝がささげられるべき神殿の中が、日本で言うならまるで祭りの時の神社の境内のように「お祭り騒ぎ」になってしまっていることに、またそこで暴利をむさぼる商人たちに、心底怒りを覚えられわけです。
ここでは「腰掛けを倒された」とだけ記されていますが、ヨハネの福音書には、” 細縄でむちを作って、羊も牛もみな宮から追い出し、両替人の金を散らして、その台を倒し、" とあります。(ヨハネの福音書2:15)
イエス様は全ての虐げられている者、さげすまれている者、病んでいる者、小さい者たちには、徹底的に優しく柔和なお方でした。
すべての人々の上に、この柔和で愛に満ちたお方によって救いが成就した・・それが十字架と復活です。
でもその救いというのは、神に背を向ける人々の上にある怒りと、それに伴う魂の滅びからの救いなんですね。
人は、このいのちの源である神から離れて、滅びに向かっているというのです。
この神殿でのイエス様の怒りは、神に背を向ける人々に対する怒りと悲しみの、ほんのごく一部を切り取ったものと言えるのかもしれません。
福音、それはもう一度神のもとに帰るチャンスが与えられたという、人生の掲示板に貼り出された最も重要なお知らせなんです。
これは「いのちの問題」なんですね。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)