" あなたがたのうちで一番偉い者は皆に仕える者になりなさい。
だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。"
マタイの福音書 23章11~12節
今日の箇所から25章の終わりまで、「イエス様の言葉」シリーズに一旦戻ります。
イエス様はパリサイ人や律法学者たちについて、徹底的に糾弾されました。
彼らは自らを高い位置に置いて、それで満足していると・・。
一番偉い者は皆に仕える者になれ・・。
一番偉い者とは、人々の上に立つ人のことです。〜長とか、先生とか、師とか、もっと偉大な感じだと「父」という言葉でその地位を表すわけです。
ですからイエス様は直前でこう言われています。
あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。だれかを自分たちの父と呼んではいけません。また、師と呼ばれてはいけません。
あなたがたの先生も師も、それはただ一人、キリストだけだし、父というのは天におられる父だけなのだと・・。
私は大学の先生という立場になって30年近く経ちますが、いまだに「先生」と言われるとなんともくすぐったい感じが消えないんですね。
それは、自分は先生などと呼ばれるにはふさわしくないという感覚があるのと同時に、先生と呼ばれることにある種の心地よさも感じていたりするわけです。
人の上に立つということには大きなリスクがあるように思います。それはもともとふさわしくない称号を与えられるからです。
神の前に出たらただひれ伏すしかない者だとしたら、「先生」という言葉はなんとなくそぐわないのではないでしょうか。言ってみれば「分不相応」であるわけです。
自分を高くすれば低くされる・・。それは、自分を高くするなら周りの人には丸見えだということです。
自分を低くしている人を見るのはなんと心地良いことでしょうか。
そのことをいつも忘れないでいたいものです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)