" 洪水前の日々にはノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。
洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。人の子の到来もそのように実現するのです。"
マタイの福音書 24章38~39節
イエス様は「終わりの時」について、二つのことを言っておられます。それは戦争や飢饉、また天変地異といった「しるし」があって、それから終わりが来るのだということ。そしてもう一つは今日の箇所で言われているように、その日は突然やって来るのであって、人々は食べたり飲んだりと、普通の生活をしているのだというのです。
一つはしるしの後に来て、もう一つはしるしなしに突然やって来るというのです。
イエス様が再び来られるというのは、実は二つの出来事を指しているんですね。
一つ目は、キリストが天から来られ、キリストにある者(クリスチャン)が天に引き上げられ、その時からキリストと共にいる者とされるという出来事。(第一テサロニケ4章)
もう一つは、大艱難時代を経てもなお悔い改めず、悪とこの世の富を愛する者へのさばきと、そんな中でもキリストを信じ続けた者の救いのために来られる。 (黙示録14章) このふたつの出来事です。
今日の「人の子の到来」は、この前者であることがわかります。それを私たちは「携挙」と言っています。
その時人々は普通の生活をしているのだというのです。食べたり飲んだり、めとったり嫁いだり・・。
ノアが神から箱舟建造の指示を受けた時、地は神の前に堕落し、地は暴虐で満ちていました。しかし、ノアだけは正しい人だったと書かれています。(創世記6章)
それはノアが、「神」は聖い義なるお方であることを、悪の中にどっぷり浸かっている人々に対して、言葉と行いを通して言い表していたということです。
人々にとってノアは、神を信じで地上に大きな箱舟を作るという、ちょっと頭のおかしな人としか目に映らなかったわけです。
そして洪水がきて、全ての人をさらってしまうまで、彼らにはわからなかった・・。
イエス・キリストこそが、この箱舟なんですね。
「救い」というのは、滅ぼされてしまうところからの救いなのです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)