" また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」"
マタイの福音書 26章26節
キリスト教会では「聖餐式」という儀式を行います。それは十字架と復活のキリストを覚えて、パンとぶどう液をいただくというものです。
今日の箇所は、その「パン」のところです。
イエス様は次のように言われました。
"わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」" (ヨハネ6:51)
イエス様は「いただくことのできるお方」なんですね。
イエス・キリストを信じる者は、今生きておられるイエス様ご自身を、自分の内にお迎えすることになります。これがいただくということです。
そのことを忘れないためにパンを食べるということをしなさい・・というわけです。
イエス・キリストは、十字架で一度完全に死なれ、そして三日の後によみがえられ、天にのぼられた方です。
私たちはこのイエス・キリストを内にいただくのです。
いただいた私たちは、そのキリストと共に古い自分に死に、そのキリストによって新しいいのちに生きる者とされるんですね。
それは罪の性質を持つ肉の体が、内にいてくださるイエス・キリストという存在と共に先ずは死に、そして少しずつですが、きよめられていき、ついには主と同じ姿に変えられるというのです。
でもクリスチャンは、変わっていく自分を見て、それがただキリストの故であることを忘れ、何か自分に良いところがあるからだというような錯覚に陥ってしまうんですね。
そんなことにならないように・・、あなたがこうして変えられてきたのは、もっぱら内にいるわたしの故であることを忘れないように・・、こうしてこの儀式をもってそれを覚えなさいということなんですね。
キリストは、いただくことのできる「生けるパン」なのです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)