" イエスを裏切ろうとしていた者は彼らと合図を決め、「私が口づけをするのが、その人だ。その人を捕まえるのだ」と言っておいた。
それで彼はすぐにイエスに近づき、「先生、こんばんは」と言って口づけした。"
マタイの福音書 26章48~49節
イエスを裏切ろうとしていた者とは、十二弟子の一人のユダのことです。
弟子たちはイエス様のことを「主よ」と呼んでいました。しかし、ユダだけは最後まで「先生」だったんですね。
" 聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。" (第一コリント12:3)
聖霊によってイエスは主ですと言う・・それは、イエス・キリストというお方に心を開いて、全面的に自分の心の内にその方をお迎えするのでなければ、起こり得ないことなんですね。
自分はイエス様を「主」と呼ぶことはできるのか・・。
それは自分を判別するのに良い材料になるかもしれません。
主とは、神を意味し、そして自分はそのしもべであることを意味します。
もしそこがはっきりしていないならば、改めて神の前に「イエス様を私の救い主と信じます」と祈りましょう。もちろん心から・・です。
そうすれば、聖霊はあなたに寄り添って、また内に入ってくださり、聖霊との歩みが始まります。
神は、神の方に向きを変える者を限りなく赦してくださるお方なんですね。
ですから、今からでも大丈夫なのです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)