" ヘロデはペテロを捜したが見つからないので、番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するように命じた。そしてユダヤからカイサリアに下って行き、そこに滞在した。"
使徒の働き 12章19節
兵士たちは4人一組が四組、すなわち16人でペテロを見張っていました。しかもそのうち二人は牢の中で鎖につながれているペテロの両脇にいたのです。
ところが気がついてみるとペテロが忽然と消えていたわけです。
彼らはもう、生きた心地はしなかったのではないかと思います。そして実際にその責任を問われて処刑されてしまうのです。
こののような兵士の運命について、私たちはどのように考えれば良いのでしょうか。
聖書を読むと、その始めから終わりまで、神の「小さい者」への御心は一貫していることが分かります。小さい者、弱い者、やもめ、在留異邦人・・。
主はこれらの存在が忘れられることがないように、常に人々に言い聞かせてこられました。
「小さい者」は忘れられていない・・それが神の御心だということがわかります。
しかし同時に聖書には、すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができないのだと言っています。
そしてキリスト・イエスがその罪の身代わりになって十字架で死んでくださったと信じるだけで、神の元に帰れるのだ・・と言っています。 (ローマ3:23-24参照)
実はこのことが聖書が言っていることの真髄でもあるんですね。
だったら日の目も見ないで死んでいった「小さい者」の行方はどうなるのでしょうか。
そのことについては私たちは、全能者の御心の前にひれ伏すしかないんですね。
神がその人のことをご存知なのだとしか言いようがないのです。
聖書はとにかく、命綱(いのちづな)をあなたに投げて「自分の命を救え」と言っているのです。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)