" さて、祈り場に行く途中のことであった。私たちは占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させていた。
彼女はパウロや私たちの後について来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えています」と叫び続けた。"
使徒の働き 16章16~17節
前回と同じ箇所からです。
「この人は大丈夫」とか、「この人は本当にいい人です」とか言うのを聞くことって、ありませんか。
それはその人を保証するという行為なのですが、何かそこに違和感を感じることがあります。
それは「自分にはこの人を評価する権威があるんですよ」という思いが背後に隠れているからなんですね。
それはすなわち、相手よりも上に立とうとする思い・・高慢の罪がそこに隠れているんです。
そしてさらに、自分はその良い人の部類に入る人間なのだと、暗に言っている・・。
人は知らず知らずのうちにおごり高ぶり、しかもそれに気がつかない・・。
自分の罪に気付かないというのは、クリスチャンにもあることです。
罪の赦しを受け取ったのがクリスチャンなのですが、それでも自分の内にある生まれながらの罪の性質の全貌は、まだまだ見えていないんですね。
罪は隠れているんです。
そしてそれは落とし穴となります。
安全な場所があるなら、それはただただ神の前にへりくだる・・。
そこが絶対的な主権を持たれる方の中に守られるための、唯一の場所なんですね。
God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)