" 彼女の主人たちは、金儲けする望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕らえ、広場の役人たちのところに引き立てて行った。
そして、二人を長官たちの前に引き出して言った。「この者たちはユダヤ人で、私たちの町をかき乱し、
ローマ人である私たちが、受け入れることも行うことも許されていない風習を宣伝しております。」"
使徒の働き 16章19~21節
パウロによって女奴隷から占いの霊が追い出され、それで儲けていた主人たちは怒ってパウロとシラスを捕らえます。それが今日の箇所です。
彼女の主人がパウロとシラスを訴えた理由は、ユダヤ人であること、町をかき乱したこと、また、まったく異なる風習を持ち込んだこと、でした。
クリスチャンはその旗印を明確にすればどうしても、家庭や職場、また地域や文化に対して違和感のある存在となります。
そしてそれが迫害の理由となって、殉教に至る者もいるわけです。それは今も決して少なくなってはいません。
実際に殺されるのではなくても、立場を失ってしまうとか、村八分にされてしまうとか・・。
そのクリスチャンが標榜するイエス・キリストというお方は、滅び行く魂のためにご自身のいのちを捨てられ、実際に死なれてからその死の力を打ち破ってよみがえられた方です。
クリスチャンはその方をそのままいただいている者なんですね。
ですから人々はクリスチャンの「死の姿」を見るとき、そこに復活のイエス・キリストを見ることになるのです。
それは人々がそれを見て、イエス・キリストを信じて、その人も永遠のいのちを得るためなのです。
ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)