" 目を覚ました看守は、牢の扉が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。
パウロは大声で「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだ。
看守は明かりを求めてから、牢の中に駆け込み、震えながらパウロとシラスの前にひれ伏した。"
使徒の働き 16章27~29節
パウロとシラスは牢獄の中で神を賛美していました。
そして他の囚人たちもそれに「聞き入って」いました。(25節)
その場所は神の霊に満たされた特別な場所となっていたんですね。
すると突然大きな地震が起こり、牢の扉は「全部」開いてしまったのです。(26節)
その物音で看守が目を覚ましたら、すべての扉が全開になっていたというわけです。
看守は囚人たちが皆脱走してしまったと思い込み、その場で自害しようとしました。
しかしパウロの言葉で自殺を思いとどまり、良く見ると囚人たちは全員そのまま、扉の開いた牢獄の中にいたのです。
囚人たちにとって、そこはもはや牢獄ではなく、神の圧倒的な光に包まれた、言ってみれば天国だったんですね。
囚人たちは、そこから離れようとはしなかったのです。
私たちの生活の中にも「牢獄」はあるのではないでしょうか。
誰しもそこから解放されたいと願います。
しかし本当に必要なことは、その牢獄に神を迎えることなんですね。
今あなたがいるところに神をお迎えする・・、それが「牢獄」からの解放になるのです。
いつもいつも神を求めて歩む人・・、その人は千日にもまさる「神の大庭にいる一日」が、どれだけ光に満ちた喜びの時であるかを知っているんですね。(参照: 詩篇84:10)
ハレルヤ (主の御名をほめたたえます)