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ドラマー市原康のなんじゃもんじゃ

ライブのご案内/キリスト教談義を中心にお届けしています

" しかし、パウロはその生き物を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。
 人々は、彼が今にも腫れ上がってくるか、あるいは急に倒れて死ぬだろうと待っていた。しかし、いくら待っても彼に何も変わった様子が見えないので、考えを変えて、「この人は神様だ」と言い出した。"
 使徒の働き 28章5~6節

 島民のパウロに対する見方は一気に変わりました。
 そして島の長官プリウスは彼らを三日間親切にもてなし、そのことがきっかけで島中の人々の病が癒やされたというのです。(7-9節)

 パウロたちは三ヶ月間この島に滞在しました。(11節)
 当然のこと、パウロはイエス・キリストのことについて語ったに違いありません。

 "神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。" (ローマ人への手紙 8章28節)

 すべてのこと・・、それは「良いこと」ではなく、むしろ「悪いすべてのこと」が共に働いて益となる・・という意味です。

 パウロの忠告を無視しての出航、絶望的な難破、兵士に殺されかける囚人たち、船員の逃亡計画、まむしに咬まれるパウロ・・。
 その結果は、船の人々全員が助かり、マルタ島の人々全員が癒やされ、皆が福音を聞いたということでした。
 そしてさらに、島の人々は「深い尊敬を表し、船出するときには必要なものを用意してくれた」(10節) というのです。

 主は、主を信じるすべての者に、真実を尽くしてくださるお方なのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

 
2022.05.06.Fri 10:25 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" パウロが枯れ枝を一抱え集めて火にくべると、熱気のために一匹のまむしが這い出して来て、彼の手にかみついた。
 島の人々は、この生き物がパウロの手にぶら下がっているのを見て、言い合った。「この人はきっと人殺しだ。海からは救われたが、正義の女神はこの人を生かしておかないのだ。」"
 使徒の働き 28章3~4節

 破船から泳いで陸地に上がった人々は、その島がマルタ島であることを知ります。
 幸い島の人々はとても親切で、雨で冷え切っている人々のために、火をたいて迎えてくれました。
 ところがパウロが枯れ枝を火にくべていたときに、まむしが出てきて彼の手にかみついたのです。
 そのまむしに咬まれれば即座に腫れ上がり、倒れて死んでしまうことを島の人々は知っていました。(6節)

 人々は咬まれたパウロを見て、「海から救われても、悪いやつはこうして罰を受けるのだ」という見方をしたわけです。

 世間が言う「悪いやつ」・・、それは明らかに非情、残酷、無慈悲な者だったりするわけですが、聖書の見方はちょっと違うんですね。

 聖書は「神を信じない」ことが一番の大きな罪だと言っているのです。
 しかしその大きな罪のために御子キリストは十字架にかかられ、私たちの身代わりの死を遂げられたというのです。

 聖書のメッセージは、「一番の悪いやつ」に赦しが与えられているというものなのです。

 問われるのは「この神の赦しを受け取ったか受け取らなかったか」であって、それで世の終わりのときの「さばき」から救われるかどうかが決まるのだ、と聖書は言っているのです。

 ですから「どんな死に方をするか」・・それは神の救いをいただいた者には、何の関係もないのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

 
2022.05.05.Thu 10:56 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" しかし、百人隊長はパウロを助けたいと思い、彼らの計画を制止して、泳げる者たちがまず海に飛び込んで陸に上がり、
 残りの者たちは、板切れや、船にある何かにつかまって行くように命じた。こうして、全員が無事に陸に上がった。"
 使徒の働き 27章43~44節

 夜が明けると砂浜のある入り江が見えたので、帆を上げてそちらに向かったところで船は座礁してしまいます。
 兵士たちは囚人たちが逃げると困るので、囚人たちを殺そうとしましたが、百人隊長はパウロを助けたいと思い、泳いだり何かにつかまったりしながら、各々が自力で陸に上がることを許しました。
 
 こうして、全員が無事に陸に上がった・・。

「あなた方は助かります。髪の毛一本失われることはありません。」と言ったパウロのことばが実現したのです。それは総勢276人でした。(37節)

 その一部始終を見た彼らは、さらに上陸したその島で、主がパウロを通してなされる奇跡のみわざを見ることになります。
 おまけに彼らは必要なものがすべて与えられて、次の旅に出ることができたんですね。(28章)

 助かった彼らは、ある「迫り」を感じたに違いありません。それは・・、

 自分はこの生きて働かれる神を信じるのか、やはり信じないのか・・。

 私たちも同様に、聖書を通して神のみわざをたっぷりと見させられます。
 そこで私たちは、二択を迫られるんですね。

 あなたはそれを信じるのか、それとも信じないのか・・。

 聖書が私たちに問うているのは、それだけなのです。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)

  
2022.05.04.Wed 10:26 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。
 それで皆も元気づけられ、食事をした。"
 使徒の働き 27章35~36節

 パウロは皆の前で、必ず全員が助かることを明言し、残ったパンを食べることを勧めると、皆はパウロの言うことに従いました。
 それでパウロはパンを取って、皆の前で神に感謝の祈りをささげたのです。
 そしてそのパンを裂いて食べ始めました。

 パウロが一同の前でしたこと・・それはまさに礼拝でした。

 そこにいた276人の人々は、もはや持てるものは何もなく、残されたものは自分のいのちだけでした。
 その時人々は、絶対的な創造者である神に目を向けたのです。

 そうしたら皆は元気づけられ、食事をしたというのです。

 出航前、難船の予告をしたパウロのことばには、だれも耳を傾けませんでした。
 しかし、今や人々はパウロのことばに耳を傾けるようになっていました。

 人は「すべてを失ったとき」に初めて、「神のことば」を聞く人になるんですね。

 望みというものがある内は、人は神に目を向けることはしない、いや、できないのです。

 人生の難破、すべてを失ったとき・・、その時こそが、あなたを愛する神との出会いの時、恵みの時、新しい出発の時となるのです。

 これは神から発していることで、そのなさり方はいつも「徹底的」なのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

  
2022.05.03.Tue 09:53 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" 夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めて、こう言った。「今日で十四日、あなたがたはひたすら待ち続け、何も口に入れず、食べることなく過ごしてきました。
 ですから、食事をするよう勧めます。これで、あなたがたは助かります。頭から髪の毛一本失われることはありません。」"
 使徒の働き 27章33~34節

 人々は二週間、何も食べていませんでした。
 その人々にパウロは食事をするように勧めました。まだパンだけは残されていたのです。
 
 そしてパウロは皆に向かって、「あなた方は助かります。頭から髪の毛一本失われることはありません。」と言ったというのです。
 なんという権威あることばでしょうか。
 
 パウロはそれを「知っていた」のです。

" 知れ。主はご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき主は聞いてくださる。" (詩篇 4篇3節)

 パウロは文字通り、神に「特別に扱われている」人でした。
 そのパウロが主を呼べば、主は聞いてくださるし、そして主も語ってくださるのです。

 でもそれは、パウロだけではないんですね。
「主はご自分の聖徒を」・・と書かれています。
 ご自分の聖徒・・それはどういう人でしょうか。

 それは主イエス・キリストを内にいただくクリスチャンです。
 そして、そのクリスチャンの中でも、主を呼び、主に語っていただく・・そのような歩みをする者を、「主は特別に扱われる」というのです。

 主に熱心に呼び求めているなら、あなたはすでに、特別に扱われている「主の聖徒」なのです。

 
 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)
 
  
2022.05.02.Mon 08:19 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 102.jpg

 GraceCafeたいむ #102 【だれでも新しく造られる】

 アップしました。

 https://www.youtube.com/watch?v=BTQQlLnoBoA

 God Bless You !

 
2022.04.30.Sat 10:23 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" ところが、水夫たちが船から逃げ出そうとして、船首から錨を降ろすように見せかけ、小舟を海に降ろしていたので、
 パウロは百人隊長や兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助かりません」と言った。
 そこで兵士たちは小舟の綱を切って、それが流れるままにした。"
 使徒の働き 27章30~32節

 漂流して14日目になり、水夫は何処かの陸地に近づいている気配を感じます。
 そこで水深を図ると徐々に浅くなっていることが分かり、取りあえず座礁を避けるために錨を降ろし、夜明けを待っていました。
 ところが水夫たちが・・というのが今日のくだりです。

 初めは囚人パウロの言うことよりも、船長や船主のことばを信じた百人隊長は、今やパウロのことばに耳を傾けるようになっていました。

 私たちは何を信じたら良いのか、迷うことがあります。

 百人隊長は、パウロのことばの権威をすでに感じ取っていたんですね。
「皆さん。元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」(25節)

 百人隊長は、小舟の綱を切ることには躊躇したかもしれません。
 それでも即座にパウロのことばに従ったのです。
 そしてこのことによって、実に船に乗っていた276人全員が無事に陸に上がったのです。(37節.44節)

 神は、神に目をとめる者には真実を尽くされるお方なのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

  
2022.04.29.Fri 06:34 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" 「昨夜、私の主で、私が仕えている神の御使いが私のそばに立って、こう言ったのです。『恐れることはありません、パウロよ。あなたは必ずカエサルの前に立ちます。見なさい。神は同船している人たちを、みなあなたに与えておられます。』
 ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」"
 使徒の働き 27章23~26節

 暗闇と激しい暴風が何日も続き、すべてを捨てた船の中で人々は望みを失っていました。
 その時パウロは声を上げて、人々に語りました。
 それは、船は失われるけど、ここにいる一人としていのちを失う者はいないということでした。そしてさらに続けて語ったのが今日の箇所です。

 それは嵐の中で語られた「神からのことば」でした。

 もし自分がその場に置かれたら、それを信じるということは、本当に難しいことだと思わされるに違いありません。
 そんなときに人は、自分のいのちのことにしか目が行っていませんから。

 でもそんな中でパウロは力強く語りました。
「私に語られたことは、そのとおりになるのです。」

 これはそのまま、あなたにも私にも与えられている「みことば」なんですね。

 たとえ今、あなたが嵐の中にあっても、聖書を通してあなたに語られていることは、必ずそのとおりになるというのです。

 みことば・・、それは力です。

 
 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)
 
 
2022.04.28.Thu 10:39 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" 太陽も星も見えない日が何日も続き、暴風が激しく吹き荒れたので、私たちが助かる望みも今や完全に絶たれようとしていた。"
 使徒の働き 27章20節

 この20節の状態に至るまで、わずか三日間でした。
 人々は曳航(えいこう)していた小舟を船に引き上げ、船をロープでぐるぐる巻きにして補強し、座礁を避けるために余計な船具を捨てて船を軽くし、流されるに任せることになり、とうとう最後には運ぶべき荷物も船具も、何もかも捨てました。(16-19節)
 そしてこの20節・・、その後も暗闇と激しい暴風が「何日も続き」、人々は望みまで捨てなければいけないというところまで来たのです。

 この状態に至って初めて主は、すべてを失うけれども命だけは助かるということを、パウロを通して人々に告げられます。(21-24節)

 黙示録には「大艱難時代」と言われる、世の終わりのことが書かれています。
 それはこの、海で遭難し絶望した人々の状態と同じような出来事が、地球レベルで起きるというものです。

 しかしその時には、「わたしを信じるなら、あなたのいのちが損なわれることはない」という神からの知らせが、地の果てまで届いているというのです。(マタイ24:14)

 これが福音です。

 すべてを失って神と出会う・・、神はなぜそのようなことをされるのでしょうか。

 それは神こそが、それを失えば滅びしかないという、まことのいのちだから・・。
 だからこそ神は、そのようななさり方をしてまで、かたくなな私たちを導かれるのです。

 最悪の出来事・・、それは神を見出すところなのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)
 
   
2022.04.27.Wed 08:45 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" また、この港は冬を過ごすのに適していなかったので、多数の者たちの意見により、ここから船出し、できれば、南西と北西に面しているクレタの港フェニクスに行き、そこで冬を過ごそうということになった。
 さて、穏やかな南風が吹いて来たので、人々は思いどおりになったと考え、錨を上げて、クレタの海岸に沿って航行した。
 ところが、間もなくユーラクロンという暴風が陸から吹き降ろして来た。
 船はそれに巻き込まれて、風に逆らって進むことができず、私たちは流されるままとなった。"
 使徒の働き 27章12~15節

 結局船を出すことになったのは、船長や船主の意見であったと同時に、「多数の者たちの意見」でもあったことがわかります。
 要するに「多数決」で船出を決めたわけです。

「この港は冬を過ごすのに適していなかった」ということで、人々はそこにとどまりたくはありませんでした。しかもそこに「穏やかな南風が吹いてきた」のです。
 それはあたかも「今船出しなさい」と言われているようでした。
 しかしそれがただの「希望的観測」だったということが、出航してすぐに分かることになります。

 私たちクリスチャンは多数決で物事を決める民主主義ではなくて「神主主義」なんですね。

 神が私たちを導かれるのです。
 しかし私たちクリスチャンでも、実際に導いて下さる神を横に置いて、自分の考えで進もうとする傾向があります。
 ですから私たちは余計に「主に聞く」「主に従う」・・、そのことに心を割く必要があるんですね。

 その時、私たちの歩みは、多数の者の意見とはまったく異なる歩みになるのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)
 
 
2022.04.26.Tue 06:34 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" かなりの時が経過し、断食の日もすでに過ぎていたため、もはや航海は危険であった。そこでパウロは人々に警告して、
「皆さん。私の見るところでは、この航海は積荷や船体だけでなく、私たちのいのちにも危害と大きな損失をもたらすでしょう」と言った。
 しかし百人隊長は、パウロの言うことよりも、船長や船主のほうを信用した。"
 使徒の働き 27章9~11節

 いよいよパウロは、ユリウスという百人隊長によって、数人の囚人とともにイタリアに向かうことになります。その行程は船を乗り継いでいくという、荒天などの危険を伴った長い旅でした。
 一行は船を乗り継ぎ、クレタ島の「良い港」というところにやっとたどり着きますが、このときすでに、天候は荒れ模様になる季節にさしかかっていました。(1-8節)

 百人隊長ユリウスが囚人のパウロが言うことよりも、経験豊富な船長や船主の判断を尊重したのは無理もないことです。
 しかし結局パウロの忠告を聞いておけば良かったという事を、ユリウスや船長は出航してから思い知ることになります。

 専門家はその豊富な経験をもって、物事を判断します。
 しかし豊富な知恵や確信をもって歩もうとしても、その通りには行かない・・。

 これが世の常です。

 しかし主は、すべてを支配される全能の主なのです。
 「世の常」よりも上におられるお方なのです。

 主はすべてのことを通して、ご自身が生きて働かれる神であることを現されるのです。
 しかも往々にしてそれは、「最悪の事態」を通してなんですね。

 ではそのことをこれから見て行きましょう。
 この「使徒の働き」も終わりに近づいてきました。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
 
2022.04.26.Tue 06:33 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
  101.jpg

 https://www.youtube.com/watch?v=r8TF1WrbAzM

 God Bless You !
 
 
2022.04.23.Sat 18:45 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" 彼らは退場してから話し合った。「あの人は、死や投獄に値することは何もしていない。」 また、アグリッパはフェストゥスに、「あの人は、もしカエサルに上訴していなかったら、釈放してもらえたであろうに」と言った。"
 使徒の働き 26章31~32節

 フェストゥスもアグリッパ王も、パウロが上訴なんかしなければ自由の身になれたのにと思ったわけですが、実はここで釈放されたら、パウロはまたとんでもない命の危険の中に放り出されることになります。
 実にカエサルに上訴したということで、パウロはローマ軍によって身の安全を確保され、エルサレムのユダヤ人達の手の届かないローマまで行くことができるようになったんですね。

 実はパウロはエルサレムで捕らえられていたときに、主から語られていたことがありました。
 ・・「あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」・・。(23章11節)
 それは神のご計画であると同時に、「必ずこうなる」というパウロへの約束でした。

 聖書の中には「神の約束」が星のようにちりばめられています。

「神の約束」・・それは必ず成るのです。

 しかし私たちは目の前の出来事を見て心が揺れ動き、暗澹(あんたん)たる思いに襲われてしまいます。
 その時「自分」に向いているその目を「神の約束」に向けるなら、その約束のことばには大いなる力があることを知るに違いありません。

 聖書の中の「神の約束」・・、それはあなたの上に置かれているものなのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

 
2022.04.22.Fri 09:07 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" するとアグリッパはパウロに、「おまえは、わずかな時間で私を説き伏せて、キリスト者にしようとしている」と言った。"
 使徒の働き 26章28節

 フェストゥスもアグリッパ王も、「さあ、このイエス・キリストという方を信じてください」という段になる手前で、パウロの話をきっぱりと拒否しました。

 パウロが話したのは実際「わずかな時間」でした。
 しかし、はっきりした出来事を目の前にし、その証言も聞き、聖書の中にもそのことが記されているのだという話を聞いたら、あとはそれを信じるか信じないかを決めるだけなのです。

 イエス・キリストを信じるために、何ヶ月もかけて学ぶ必要はないのです。

 イエス・キリストは今あなたの目の前に存在する「救い」ですから、それを信じて心の内にこの方をお迎えしたときから、その人にはこの方との歩みが始まるんですね。
 そしてその歩みの中で、この方はこんな方だったのかと、改めてびっくりする毎日を過ごすようになるわけです。

 信じるために必要な情報は「わずか」なのです。

 1.イエス・キリストというお方は、神が人のために遣わされた神の御子であるということ、すなわち神だと思って良い方であるということ。
 2.この方は、あなたが神のもとに帰るために必要なことを成し遂げてくださるために、人の形をとって来られた方であるということ。
 3.それがあの十字架と復活で、十字架は神に背を向けているあなたの罪のための供えものであるということ。
 4.このキリストの死と復活は事実であり、このキリストと一緒になって、今まで神を認めず自分中心に歩んでいた「古い自分」が死んで、新しい永遠のいのちに生きる者とされるということ。

 このことを信じて、神の前に「イエス・キリストを救い主として信じます」と祈るなら、あなたは救われるのです。

 これは「わずかな時間」かもしれませんが、ここで拒まなければ、あなたは文字通り「新しく生まれ変わる」のです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)
 
 
2022.04.21.Thu 10:28 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" パウロがこのように弁明していると、フェストゥスが大声で言った。「パウロよ、おまえは頭がおかしくなっている。博学がおまえを狂わせている。」"
 使徒の働き 26章24節

 パウロの弁明は、アグリッパ王そして総督フェストゥスほか、町の重要人物の前でなされました。
 それはイエス様との出会いによって、自分はユダヤ人をはじめ異邦人にも、悔い改めて神に立ち返るように宣べ伝える者になったのです、という話でした。

 さらにパウロが語ったことは、ここで起きている出来事は「預言者たちやモーセが後に起こるはずだと語ったこと」、すなわち聖書に書いてあることと一致しているのだということでした。
 そしてそれは、イエス・キリストの死と復活によって与えられる希望の光なのだ・・と。(22-23節)

 その時、総督フェストゥスは叫んで言った・・、それが今日の箇所です。

 人の基本姿勢・・、それは「神の話には入っていかない」というものなんですね。

 でも実はこれが、運命の分かれ道となるわけです。
 すべての重荷をおろして、神の赦しと愛の中に生き、永遠のいのちをいただくという、他では聞いたことのない祝福を、受け取るか受け取らないかの分かれ道・・。

 聖書を読んでみようかな・・、これが人の運命を変える「分かれ道」なのです。

 福音に耳を傾けること・・、それがすべての始まりなのです。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
 
2022.04.20.Wed 09:30 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。
 それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』"
 使徒の働き 26章17~18節 (新改訳2003)・・この箇所の5回目です。

 イエス様がパウロを召し上げ、そして世の人々に遣わすその目的が書かれているのがこの箇所です。
 その5回目。神が人々を招くその最終的な目的。
 それは「御国を受け継がせる」ことだというのです。

 御国のことを「この世に実現する神の国」と解釈する向きもありますが、そうだとしたら、すでに死んだ人は関係のない存在となってしまいます。

 聖書は、神が最終的に与えられるのは「新しい天と新しい地」だと言っているのです。(黙示録20-21章)

 イエス様が地上で語られたことは、この「天の御国」に関することが圧倒的に多いのです。

 そういう視点でこの箇所を読むと、神の初めからの目的が見えてくるんですね。
 それは、神から離反しているすべての人に神に立ち返る機会を与え、神のもとに帰ったすべての者たちを終わりの時によみがえらせ、彼らによって構成される全く新しい永遠の御国を構築する・・そのことに他なりません。

 ・・彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。・・

 実に、神の最終目的がここに記されているのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

 
2022.04.19.Tue 09:33 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。
 それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』"
 使徒の働き 26章17~18節 (新改訳2003)・・この箇所の4回目です。

 聖なるものとされた人々・・。

 そう言われても私たちクリスチャンはこの世の歩みにおいて、「聖なるもの」とはほど遠い自分を見せつけられます。
 それはイエス様を内にいただいた後も私たちは「肉の性質」、すなわち古い自分という自己中心的な性質も持ち合わせながら生きるからです。

 ですからクリスチャンは「肉 vs 御霊」という、以前には知らなかった戦いの中に、常に置かれることになるんですね。

 クリスチャンは聖(きよ)い御霊の性質を、古い性質を持つ肉体の内にいただく者となったのです。
 ですからいつも、「どちらを取るんだ?」という場面に遭遇するようになるわけです。

 しかし私たちの古い自分は、すでにイエス様が十字架の上で釘付けにしてくださいました。
 それはどういうことかと言うと、私たちはこの戦いにおいては御霊を選び取る「力」が与えられているということです。

 私たちはすでに「聖なるものとされた人々」の一員となっているのです。

 御霊を選び取るなら、そのとき私たちは「聖なるもの」としての歩みを、踏み進んでいるのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

 
2022.04.18.Mon 10:24 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。
 それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』"
 使徒の働き 26章17~18節 (新改訳2003)・・この箇所の3回目です。

 パウロが人々に使わされる目的・・それは、人々の目を開いて神の方に向けさせ、サタンの支配から神に立ち返らせるということだと、イエス様はパウロに言われました。

 そして次に言われたことは、「罪の赦し」に関することでした。
 そしてその罪の赦しは「わたしを信じる信仰」によって実現するのだとイエス様は言われました。

 イエス・キリストを信じる信仰・・、それは今生きておられるイエス・キリストという「存在を」神として信じ、その方を心の内にお迎えするということです。
 それで人はどういう状態になるかというと、あのキリストの「死」と「よみがえりのいのち」、そして「十字架で流された血」が、私たちの内に現実として与えられるということです。

 しかし信じた者は、その血の意味がどういうものであるかを知らされないことには、自分の内に罪の赦しをいただいたということは分からないわけです。

 ですから、イエス・キリストを宣べ伝える者は、あの十字架で流された血の意味を伝えなければならないのです。
 あれは、あなたの罪のために流された血で、それはすなわちあなたの罪の赦しのためのささげ物であって、それはすでにささげられたのです・・と。

 私たちはイエス・キリストを救い主として信じ、内にお迎えしたときに、この罪の赦しをいただくのです。

 それは今まで神に背を向けていた私たちが、神の方に向きを変えて神のもとに帰ろうとしたということが、神に全面的に受け入れられたということなんですね。

 今日はそのイエス様が十字架にかかられた、まさにその日に当たります。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)
 
 
2022.04.15.Fri 09:34 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。
 それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』"
 使徒の働き 26章17~18節 (新改訳2003)

 この箇所の2回目です。

 キリスト/神の御子は私たち人間に対し、ある意図をもって人のかたちをとって天から下ってこられたというのです。

 それは先ず人々の目を開いて、まことの生ける神にその目を向けさせることでした。
 そしてその時に起きること・・それが「暗闇から光に、サタンの支配から神に立ち返る」ことだというのです。

 結局、すべての人はサタンの支配下にあるのだと言っているのです。

 しかもこの世はその最後まで、そのサタンの支配下にあるのだと聖書は言っています。
 このサタンの目的・・、それはまことのいのちである神から人を引き裂くことです。

 サタンは「死」という切り札をもって人に迫ってきます。
 人はその「死」への恐れに縛られ、生き残ることを是とするこの世の流れに従い、結局は暗闇の世界を形成しているのです。

 イエス・キリストは十字架の死からよみがえって、この「死の力」を打ち破って見せてくださいました、

 人をサタンの支配から神に立ち返らせることができるのは、この方イエス・キリスト以外にはいないんですね。

 人はイエス・キリストを信じる信仰によってのみ救われ、暗闇から光に移されるのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

  
2022.04.14.Thu 10:05 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。
 それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』"
 使徒の働き 26章17~18節 (新改訳2003)

 パウロはローマに移送される前に、さらにもう一度、公に弁明する機会が与えられます。
 その時パウロが語ったことはやはり、あの天からの光に打たれた時の衝撃的な出来事の話でした。
 イエス様はそのときパウロに、「人々のところに遣わす目的」について語られました。それが今日の箇所です。

 彼らの目を開いて・・。それは人々の目が閉ざされているという意味ですが、それは実際には「見ている方向が違う」ということです。

 聖書は、すべての人は罪人だと言っていますが、その罪人の基本的なスタンス・・それは「視点が完全に自分に向いてしまっている」というものです。

 これを「罪の性質」と言います。
 しかしこの罪の性質について目が開かれるのが、実は至難の業なのです。

 それは結局「自分しか見ていない自分に気がつく」ということです。
 その「罪の性質」は、厳重に鎖で縛られて解くことのできない、自分ではどうしようもないものなんですね。

 しかしその鎖が打ち破られる時があるというのです。
 それが「神に目を向ける時」です。

 神という存在に目を向け、信じてみようと思うその時、人の視点は初めて「外」に向きます。

 その時人の目は、「開く」のです。
 

 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)
 
 
2022.04.13.Wed 08:02 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" もし私が悪いことをし、死に値する何かをしたのなら、私は死を免れようとは思いません。しかし、この人たちが訴えていることに何の根拠もないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカエサルに上訴します。」"
 使徒の働き 25章11節

 パウロが監禁されてから二年後、新任のユダヤ総督フェストゥスは、着任三日目でエルサレムに上りました。
 そこで祭司長たちとユダヤのおもだった人たちはパウロを告訴して、エルサレムで裁判を受けさせるようにフェストゥスに願い出ます。
 それは実は、移送中にパウロを暗殺するための陰謀でした。
 フェストゥスはそれに気付いていたのかは定かではありませんが、それを断り、今パウロがつながれているカイサリヤで彼を訴えるようにと言って、一週間あまりでカイサリヤに戻りました。
 そしてフェストゥスがカイサリヤに帰ったそのすぐ翌日に、裁判が開かれたのです。

 しかしこの裁判でも、案の定、訴えは証拠立てることができるようなものではなく、らちのあかない状態でした。
 そこでフェストゥスはパウロに、エルサレムで裁判をするかと、ユダヤ人たちが喜びそうな提案をします。(9節)
 しかし、そんなことをしたら命を狙われることは明白でした。そこでパウロが言ったのが今日の箇所です。

 フェストゥスは陪審の者たちと協議して、パウロをカエサルのもと、すなわちローマに送ることを決定します。
 これで、パウロは執拗に命を狙うユダヤ人たちから完全に守られて、ローマまでの行程も護衛に守られて行くことになったのです。

 パウロはずっと、主の御手の中で守られ続けていたのです。

" 神、その道は完全。主のことばは純粋。主は、すべて主に身を避ける者の盾。" (サムエル記 第二 22:31、詩篇18:30)


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)
 
  
2022.04.12.Tue 09:26 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" 二年が過ぎ、ポルキウス・フェストゥスがフェリクスの後任になった。しかし、フェリクスはユダヤ人たちの機嫌を取ろうとして、パウロを監禁したままにしておいた。"
 使徒の働き 24章27節

 パウロはカイサリヤの町で二年間監禁されていました。そして次の総督フェストゥスも、パウロをそのままにしておきました。

「ユダヤ人達の機嫌を取ろうとして」・・、それはユダヤ人達がパウロの命を狙うことを諦めていなかった事を示しています。
 それが証拠に25章では、新総督フェストゥスがエルサレムに上った際、即座に彼らはパウロを告訴しています。おまけに彼らはパウロをエルサレムに移送してもらうように嘆願し、その移送途中で暗殺しようと画策していたのです。(25:1-3)

 二年経ってもやはり、パウロは守られている必要があったわけです。

 パウロは宣教のために各地を回るという、一番やりたいことができませんでした。
 しかし弟子たちは出入りし、パウロの世話をすることが許されていた・・。(23節)

 パウロはこの環境の中で、現代の私たちも読んでいる新約聖書の一部となる「手紙」を書いたんですね。(どの手紙であるかは特定されていません)

 私たちは、突然不本意な状況の中に立たされることがあります。
 でもそれは、主が用意された新しいミッション(使命)との出会いの場かもしれないのです。

 主が与えられた新しい環境・・、しかも不本意な・・。

 それは、あなたが新しい扉を開くときとして与えられているのではないでしょうか。

 
 祈りましょう。。。
 
 
2022.04.11.Mon 10:50 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
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 〜「聖書のこと、話してみます」のお時間 〜
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 God Bless You !
 
 
2022.04.09.Sat 09:27 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" 数日後、フェリクスはユダヤ人である妻ドルシラとともにやって来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスに対する信仰について話を聞いた。
 しかし、パウロが正義と節制と来たるべきさばきについて論じたので、フェリクスは恐ろしくなり、「今は帰ってよい。折を見て、また呼ぶことにする」と言った。"
 使徒の働き 24章24~25節

 ユダヤの総督フェリクスは、パウロをある程度の自由を持たせた状態ではありましたが、拘束し続けました。
 26節にはその理由として、「パウロから金をもらいたいという下心があった」と書かれていますが、そうだとしても彼らは、キリスト・イエスに対する信仰の話を聞こうとしたわけです。
 
 ところがパウロが話し始めたのは「正義と節制と来たるべきさばきについて」でした。

 フェリクスはその地方のユダヤの民に、ひどい圧政を敷いていた人物でした。
 彼はパウロの、正義とかさばきということばを聞いて「恐ろしくなり」と記されています。
 結局二人は、福音の肝心なところを聞かずに、パウロを追い返してしまったのです。

 イエス様のあの十字架は、あなたの罪の身代わりにイエス様ご自身がその罪を負われたという、「いけにえのささげ物」なのです。
 それは私たちに与えられた罪の赦しのしるしなのだ・・これが福音の核心です。

 神は罪人に「赦しを与えられた」のです。

 フェリクスが聞くべき事・・、それは「あなたの罪は赦されている」だったんですね。

 しかしそれを聞いて信じなければ、神のもとに帰ることは出来ないのです。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
2022.04.08.Fri 10:15 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" フェリクスは、この道についてかなり詳しく知っていたので、「千人隊長リシアが下って来たら、おまえたちの事件に判決を下すことにする」と言って、裁判を延期した。
 そして百人隊長に、パウロを監禁するように、しかし、ある程度の自由を与え、仲間の者たちが彼の世話をするのを妨げないように、と命じた。"
 使徒の働き 24章22~23節

 パウロは、海辺の町カイサリヤにいる総督フェリクスのもとに保護されました。
 さっそく大祭司アナニアと数人の長老たち、そして弁護士はそこに来て、パウロを訴えに出ました。
 しかしもともとパウロが異邦人を宮に連れ込んだという「憶測」から始まったこの騒動ですから、丁寧に調べてもパウロを罪に定める材料などなかったわけです。(2-21節)

 そこでフェリクスは、千人隊長リシアが下ってくるまで裁判を延期することにします。
 しかしこのあとの記事には、千人隊長が下ってきたという話は出てきません。

 要するに、フェリクスは決定的な根拠もないまま、パウロをそのまま拘留し続けたのです。
 ここにも神様のすばらしい采配がありますね。
 もしここで釈放されてしまったら、ユダヤ人達はパウロを殺害したことでしょう。
 しかしパウロは、あくまでも守りの中に置かれ続けたのです。
 しかも監禁されていたといっても、ある程度の自由が与えられ、仲間の者たちとの交流も許されたのでした。

 前回に引き続き、ここにも神の「至れり尽くせり」を見ることが出来るんですね。

 このように主は、あなたのためにも「最善を尽くしてくださる」お方なのです。
 

 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)
 
 
2022.04.07.Thu 09:41 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" 総督は手紙を読んでから、パウロにどの州の者かと尋ね、キリキア出身であることを知って、「おまえを訴える者たちが来たときに、よく聞くことにしよう」と言った。そして、ヘロデの建てた官邸に彼を保護しておくように命じた。"
 使徒の働き 23章34~35節

 千人隊長はパウロの命を狙うユダヤ人から彼を守るために、夜中の内に厳重な護衛をつけて海辺の町カイサリヤにパウロを送り出ました。
 そして訴えるユダヤ人たちに対しては、この地の総督フェリクスを訪ね、そこで改めて訴えるようにと命じました。(27-30節)

 実はこの総督フェリクスという男・・、彼はその地の民に対し非常に残忍な悪政を敷いた総督として名の知れた男でした。
 パウロが移送された先は、ユダヤ人が最も苦手とする総督のところだったわけです。
 しかしパウロはローマ市民だったがゆえに、そんな総督でもパウロを乱暴には扱えなかった・・。

 それは結局、パウロは堅固な城壁のような守りの中に置かれたということです。

 ダビデ王が、その命を狙うサウル王から救い出されたときに、主に歌った次のことばを思い出します。

" 彼は言った。「主よ、わが巌、わが砦、わが救い主よ、身を避ける、わが岩なる神よ。わが盾、わが救いの角、わがやぐら、わが逃れ場、わが救い主、あなたは私を暴虐から救われます。" (第二サムエル記 22:2-3)

 主は私たちが思うよりも、遥かに念の入った守りを私たちに与えてくださるお方なんですね。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

 
2022.04.06.Wed 08:41 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" 夜が明けると、ユダヤ人たちは徒党を組み、パウロを殺すまでは食べたり飲んだりしない、と呪いをかけて誓った。
 この陰謀を企てた者たちは、四十人以上いた。"
 使徒の働き 23章12~13節

 最高法院での弁明で、パウロは自分の語ったひと言によって、はからずもその危険な状態から隔離されることになります。
 それでユダヤ人達は祭司長たちのところに行って、パウロの暗殺を企てます。
 ところがここに意外な助っ人が入るんですね。

 それはこの陰謀を偶然耳にしたパウロの甥でした。
 彼はそのことをパウロに知らせたので、パウロはその甥を千年隊長のところに遣わします。
 それによって千年隊長は、パウロを夜の内に厳重な警備のもと、エルサレムから100キロほど離れた海辺の町カイサリヤの総督のところに移送してしまったのです。(14〜35節)

 主はパウロを、最高法院の大混乱から守られ、また暗殺計画からも守られ、ユダヤ人の手の届かないところに移され、そこで守られるようにされたわけです。

 ところで、ここには書かれていないことがあります。
 それは背後で、多くの人々がパウロの守りのために祈っていたということです。

 神がなさることは、主を信じる者の祈りと、常に連動しているんですね。

 例えば、あなたがイエス・キリストに出会った・・、その背後には確実に誰かの祈りがあるのです。
 それは見知らぬ人の祈りかもしれません。あるいは友人や家族の密かな祈りかもしれません。

 ある人が祈り、別の人がそのために動く・・。

 神様はそのようにして、私たちと共に働かれるんですね。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)
 
 
2022.04.05.Tue 10:23 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と言われた。"
 使徒の働き 23章11節

 パウロはユダヤの最高法院での弁明において「私は死者の復活という望みのことで、裁きを受けているのです。」と言った途端、そこはパリサイ人とサドカイ人の激しい論争の場となってしまいました。
 パリサイ派とサドカイ派は、復活ということについては真っ向から意見が対立していました。
 パウロは「彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見て取って」このように言ったのだと記されています。(6-9節)
 ですからそれは、パウロが意図的にやったということです。

 結局激しい論争の中でこの弁明は中止され、パウロは兵営に引き戻されてしまいます。

 そしてその夜、主はパウロに現れ、「勇気を出しなさい」と言われ、その先に起こることを告げられた・・。それが今日の箇所です。

「勇気を出しなさい」とは、自分の務めのことを今一度思い起こし、奮起しなさいということです。
 パウロは気落ちしていたんですね。

 せっかくあのような弁明の場が与えられたのに、ひと言でそれをダメにしてしまったということで、パウロは自分を責めていたのかもしれません。

 私たちは主に従う道の中で、自分を責めて気落ちしてしまうようなことが幾度となくあります。
 しかし主は、私たちが考えるよりも遥かに高いところで、そのご計画を遂行されるんですね。

 私たちはあくまでも「小さい者」で、その私たちをすべての主権を持たれる主が用いられるのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)
 
 
2022.04.04.Mon 11:26 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
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〜「聖書のこと、話してみます」のお時間 〜  【希望を置く場所】

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2022.04.02.Sat 07:46 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" パウロは、最高法院の人々を見つめて言った。「兄弟たち。私は今日まで、あくまでも健全な良心にしたがって、神の前に生きてきました。」
 すると、大祭司アナニアは、パウロのそばに立っていた者たちに、彼の口を打つように命じた。"
 使徒の働き 23章1~2節

 パウロは千人隊長の取り計らいで、ユダヤ人の議会である最高法院で語る機会が与えられました。今日の箇所はその初めのことばです。

 大祭司がパウロの口を打つように命じた・・、それは、大きな嘘を平然と言うなという意味です。
 しかし、パウロは別にうそを言っているわけではなく、イエス・キリストに出会う前も、出会ってからも、彼の行動はあくまでも「健全な良心に従って」の歩みだったと言ったのです。

 パウロには、神を信じるという点では誰よりも熱心で、全力を尽くしてその道を歩んできたという自負がありました。
 そのパウロにとって、イエスがキリストであるという話はどう見ても受け入れがたいことだったのです。

 パウロは、神に対しては以前から熱心だったのです。
 しかし肝心な情報を拒んでいたので、結果的に思いっきり神に敵対する者となっていたというわけです。

 良心とは自分に誠実な態度です。
 しかしその態度も真実を知るか否かによって、人の歩みは大きく変わっていくわけです。

 良心によって行動すれば良いというのではなく、どういう価値観で行動するのか・・それが大事なことなんですね。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
  
2022.04.01.Fri 09:05 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" 翌日、千人隊長は、パウロがなぜユダヤ人たちに訴えられているのか、確かなことを知りたいと思い、彼の鎖を解いた。そして、祭司長たちと最高法院全体に集まるように命じ、パウロを連れて行って、彼らの前に立たせた。"
 使徒の働き 22章30節

 騒動を聞いて駆けつけたローマ軍の千人隊長は、パウロをむちで打って取り調べるように兵士に命じます。そこでパウロは「ローマ市民を裁判にもかけずにむちで打ってもいいのですか」と抗議します。それはローマの法律に反することでした。
 千人隊長はパウロがれっきとしたローマ市民であることを知り、その扱いは一変しました。それが今日の箇所です。(24-30節) 

 千人隊長はその権限によって、ユダヤ人の議会であるはずの最高法院を招集するという、異例の取り計らいをします。

 パウロはここで、福音を正面から話せば良いわけですが、このあとの23章を見ると、意外な変化球を投げるんですね。
 それでこの議会は真っ二つに分かれて終わり、さらにパウロ暗殺計画が持ち上がるという、最悪な方向に話は展開していきます。

 しかし最終的には、パウロは主が言われたとおりに、ローマに行くことになるのです。

 事態は悪化しました。しかし主はそのひとつひとつのことを用いて、そのご計画を遂行なさるんですね。

 クリスチャンは物事を見分ける上で、世の人々とはまったく異なる視点が与えられています。
 それは今目の前で起こっている出来事の上には「主のみこころ」があるという視点です。
 これによって状況判断は大きく変わってくるのです。
 
 それは悪いことの中にあっても動じないという、堅固な道なのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

 
2022.03.31.Thu 10:16 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" 人々は彼の話をここまで聞いていたが、声を張り上げて言った。「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない。」"
 使徒の働き 22章22節

 前回と同じ箇所です。
 人々が激怒するその引き金になったのは、「主は私に『行きなさい。わたしはあなたを遠く異邦人に遣わす』と言われました。」というパウロのことばでした。(21節)

 神は異邦人を自分たちと同様に顧み、同等に扱われる・・。これは彼らにとってはあり得ないことでした。

 それは十二使徒の筆頭であるペテロにとっても、初めは受け入れがたいことでした。
 ペテロは、異邦人たちにも自分たちと同様に聖霊が注がれるのを目の当たりにして、それが否定のしようもないことが分かったという記述があります。(10章参照)

 神は地の果てまでの、すべての人のためにイエス・キリストを遣わされたんですね。

 キリスト教は日本の宗教ではないという声を聞くことがありますが、神は天地万物を造られたまことの神、「わたしが神だ、ほかにはいない」と言われる唯一の神なのですから、それは全人類の神なのです。
 神は一地方や、民族や、特定の山におられるような存在ではないのです。

 そしてその神が人を造られたその目的は、一旦神から離れたすべての民の中からご自身のもとに帰る「神の民」を選び出され、彼らを天の御国の民とするためだった・・。

 これが聖書に示されている神のご計画の全貌なのです。

 そのために神がこの世に遣わされたのが、御子イエス・キリストだというのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

 
2022.03.30.Wed 09:28 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" 人々は彼の話をここまで聞いていたが、声を張り上げて言った。「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない。」"
 使徒の働き 22章22節

 人々はパウロの話を途中まで聞くと、激怒し、パウロを殺そうとします。

 人々はとにかく、この話を聞きたくなかったんですね。
 この方イエス・キリストは、ユダヤ人、特に指導者たちの罪を徹底的に指摘する方でした。
 彼らは、この方イエス・キリストが自分の心の奥を探り、罪を示される方であることを直感していたのです。

 イエス・キリストは、私たちに悔い改めを迫る方なんですね。
 だからその時点で、イエス・キリストに関わる話を、とにかく拒んでしまう。
 それはさばかれることに対する、直感的な恐れから来るものであるわけです。

 神を認める・・、実はそのとき人は、自分の内の罪を見るのです。

 ですから福音というのは、自分を守ろうとしている限り、受け取ることができないものなのです。
 本当はその先に大事な話があるのに、それを聞く前に拒んでしまう・・。

 それがあの十字架・・あれはあなたの罪をイエス・キリストが身代わりに負ってくださったという、私たちへの赦しを示された姿なんですね。

 福音を受け取るきっかけ・・、それは「信じてみようかな」と、ある種の「降参」をしたときに与えられるのかもしれませんね。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
  
2022.03.29.Tue 09:36 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" そこで私は答えました。『主よ。この私が会堂ごとに、あなたを信じる者たちを牢に入れたり、むちで打ったりしていたのを、彼らは知っています。また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私自身もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの上着の番をしていたのです。』
 すると主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く異邦人に遣わす』と言われました。」"
 使徒の働き 22章19~21節

 パウロがエルサレムに帰って祈っていたところ、主はパウロに語りかけられました。
「急いでエルサレムを離れなさい。わたしについてあなたがする証しを、人々は受け入れないからです」と。(18節)

 それに対しパウロは、「自分がクリスチャンを迫害する側の者であったことを人々は知っているのですから、そんな自分の証言を彼らは聞いてくれるに違いありません」と申し上げた・・、それが今日の箇所です。
 しかし主は、「わたしはあなたを遠く異邦人に遣わす。だから今すぐエルサレムを離れなさい」と言われたのです。

 にもかかわらず、パウロは自分の思いを優先してエルサレムにとどまろうとしたんですね。
 そうしたら大騒動に巻き込まれ、捕らえられてしまったのです。
 しかし結局のところ、パウロはこのあと囚人としてローマに連行されるという形でエルサレムを離れ、そこで多くの人々の福音を伝えることになる・・。(参照:23章以降)

 このことを見ると、主は私たちがどんなに頑固でも、ひとたびその人を選ばれたら、その人を通して、主のご計画を成し遂げられることが分かりますね。

 主は、足りない欠けだらけの私たちを、ご自身の栄光を現されるために用いられるのです。


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2022.03.28.Mon 10:54 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
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 〜「聖書のこと、話してみます」のお時間〜

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2022.03.26.Sat 10:09 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" それから私がエルサレムに帰り、宮で祈っていたとき、私は夢心地になりました。
 そして主を見たのです。主は私にこう語られました。『早く、急いでエルサレムを離れなさい。わたしについてあなたがする証しを、人々は受け入れないから。』"
 使徒の働き 22章17~18節

 パウロはアナニアによってバプテスマを受け、数日もしないうちに大胆にイエスの御名を宣べ伝え始めました。
 そしてエルサレムに帰っていき、宮で祈っていた、その時のことです。

 パウロは夢心地になり、神を見、神と語るという、日常生活のモードとはまったく異なる異次元の世界に引き入れられました。

 その次元のことをパウロは「第三の天」と言っています。そしてそれは肉体のままなのか肉体を離れてなのか、自分ではわからないと・・。(2コリント12:2-3)

 私たちクリスチャンは、神のものとされた神の民です。
 それは言い換えれば、パウロの言う第三の天の情報をはっきりではなくても、ぼんやりと見、感じる者とされているということです。 

 私たちは祈りに導かれます。
 聖書を読みたいという思いに駆られます。
 主に仕えたいという思いに導かれます。

 これらすべては、私たちが第三の天につながっている証拠なのです。

 私たちには、このようにして与えられている特別な身分をいつくしみ、成長させていく義務があるのです。
 その筆頭が「祈り」なんですね。

 それは他の日常生活の何よりも大切なことなのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)
 
  
2022.03.25.Fri 09:24 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" さあ、何をためらっているのですか。立ちなさい。その方の名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』"
 使徒の働き 22章16節

 アナニアはパウロに、あなたは神に特別に選ばれた器であり、すべての人のためにキリストから直接遣わされる者となるのだという、神のことばを伝えます。
 しかしパウロは、ためらっていたようです。

 パウロは自分の心に示されたことを行動に移すときがやってきたわけです。
 それは「その方の名を呼んでバプテスマを受けること」でした。
 しかしそれは、自分の罪を認め、完全に神の前に降参するに等しいことでした。

 自分の罪を認めて降参すること・・。
 やはりためらいますよね。

 しかしパウロは、このことばを受け入れてすぐにバプテスマを受けました。

 9章の記事によれば、パウロ(サウロ)はバプテスマを受けた後・・
 〜 食事をして元気になった。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいて、ただちに諸会堂で、「この方こそ神の子です」とイエスのことを宣べ伝え始めた。(9:19-20)
・・とあります。

 神から召された者が、罪を認めるなら、主はその人の上に大いなる力を注がれるのです。

 クリスチャンというのは、古い自分の罪を認め、キリストとともに古い自分に死に、新しい力を得てキリストの証人とされる・・。

 パウロの上に起こったこの出来事・・、これはまさにその「型」なんですね。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

 
2022.03.24.Thu 11:18 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" 彼はこう言いました。『私たちの父祖の神は、あなたをお選びになりました。あなたがみこころを知り、義なる方を見、その方の口から御声を聞くようになるためです。
 あなたはその方のために、すべての人に対して、見聞きしたことを証しする証人となるのです。"
 使徒の働き 22章14~15節

 天からの光に打たれて目が見えなくなったパウロのところに、神から遣わされたアナニアがやってきて言ったことば・・、これが今日の箇所です。

 アナニアは言いました。神はあなたを選ばれたのだ・・と。
 それは、あなたが神のご計画を知るため。
 そしてそのために神が遣わされた御子イエス・キリストを知り、その方の声を聞く人となるためなのだ。
 あなたはこの方イエス・キリストに仕える者となり、すべての人に対して、この方から聞いたこと、そして実際に見たことを伝える者となる・・。

 これがアナニアが神から預かったことば・・すなわちパウロに与えられた預言でした。

 パウロにとっては、今までの自分の考えのすべてをひっくり返されてしまうような出来事が起きて、しかも目が見えない状態がしばらく続いていたわけです。

 しかしそれは、パウロが一人静まって考えるという、どうしても必要な時間として与えられていたんですね。

 アナニアによってパウロの目は開かれました。(13節)

 そのときパウロは、神から遣わされたアナニアが語るすべてのことばをそのまま受け取る者へと、変えられていたのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)
 
 
2022.03.23.Wed 09:34 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" すると、律法に従う敬虔な人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人たちに評判の良い、アナニアという人が、私のところに来て、そばに立ち、『兄弟サウロ、再び見えるようになりなさい』と言いました。
 するとそのとき、私はその人が見えるようになりました。"
 使徒の働き 22章12~13節

 主はアナニアに、具体的にするべきこととそこにある主の計画を、すでに語って聞かせていました。それでアナニアはパウロを訪ねてきたのです。
 このことの詳細は9章にすでに記されています。

 パウロ(サウロ)はクリスチャンであるアナニアのことを「ユダヤ人たちに評判の良い、律法に従う敬虔な人」と評しています。それはあきらかに反対するユダヤ人たちを配慮してのことばです。
 しかし事実は事実として語らざるを得ません。
 それでこのあと、パウロが話しているうちに、群衆の怒りは爆発してしまいます。

 私たちも、イエス様という方について人に話をするとき、相手の立場を配慮しながら話をしますが、事実は事実として語らなければなりません。
 でもそれって、結構難しいことのように思います。

 自分が歓迎しないことがそこに起こる予感・・。
 でも「恐れてはならない」と、いつも主は言われます。

 私たちが身に帯びているイエス・キリスト・・その本質は死と復活なんです。
 ですから「もうだダメだ!」の先に、いつもそれをひっくり返す「復活」がそこにあるんですね。

 主とともに歩むとき、私たちはいつもそのことを見させられます。

 これ・・「信仰生活」の型であるようです。


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2022.03.22.Tue 10:37 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" 私が『主よ、私はどうしたらよいでしょうか』と尋ねると、主は私に言われました。『起き上がって、ダマスコに行きなさい。あなたが行うように定められているすべてのことが、そこであなたに告げられる』と。"
 使徒の働き 22章10節

 激しく反抗するユダヤ人たちに対する、パウロの弁明の続きです。

 天の声は私パウロに、「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである」と言い(8節)、その声に対して私は「主よ、私はどうしたらよいでしょうか」と言ったのです・・とパウロは語ります。

 それはパウロが即座にイエス様を「主(神)」と認め、イエス様に向かって「主よ」と自分の口で言ったということです。

 そしてその主イエスは「ダマスコであなたが行うように定められているすべてのことが告げられる」と言われました・・とパウロは続けます。
 そして自分はその時、天からの光で目が見えなくなっていて、人に手を引かれてダマスコまで行ってみるとアナニアという人が自分の前に現れた、というのが12節以降の証言です。
 
 結局パウロはユダヤ人たちに対して、あのナザレのイエスこそが「あなた方が待ち望んでいるキリスト」であり、その方は本当に生きておられ、人の上に特別な意図をもって臨まれ、その人に直接語られるお方なのだということを証言したのです。

 次回はそのアナニアがパウロのところに来て語った言葉です。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)
 
 
2022.03.21.Mon 11:28 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
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 アップしました。

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 God Bless You !
 
 
2022.03.19.Sat 08:29 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" 私が答えて、『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、その方は私に言われました。『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである。』"
 使徒の働き 22章8節

 サウロは神の圧倒的な光に打たれて地に倒れ、天からの声を聞きました。
「サウロ、サウロ、どうしてわたしを迫害するのか。」と。

 そのときパウロ(ヘブル語名サウロ)は、この声の主に向かって「主よ」と言っています。
 それはパウロはこのときすでに、この声が主なる神であることを認識していたということです。
 そしてこの主は「わたしはあなたが敵対視しているイエスだ」と、はっきり言われたのです・・。

 イエス様がパウロに声をかけた目的、それは、ご自分の働き人としてパウロを召し上げるためでした。 

 パウロはイエス・キリストを認めず、キリスト者たちを迫害して死にまで至らしめていた人物でしたから、イエス様の働き人としては完全に失格者であるはずです。
 しかし、そういうことは主にとっては関係のないことだったんですね。

 主が用いられる器・・、それは熱い心を持った者。
 ひとたび「本当のこと」を知ったら、その人は歩く方向がまったく変わってしまうことを、主はご存じだったのです。

 主は天から全地を見渡し、そういう者を探しておられるんですね。
 

 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

 
2022.03.18.Fri 10:16 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" 私が道を進んで、真昼ごろダマスコの近くまで来たとき、突然、天からのまばゆい光が私の周りを照らしました。
 私は地に倒れ、私に語りかける声を聞きました。『サウロ、サウロ、どうしてわたしを迫害するのか。』"
 使徒の働き 22章6~7節

 パウロ (ヘブル語名サウロ) はまず、自分がクリスチャンを迫害する側の者であったことを群衆に語り、さらにその自分の上に起こった特別な出来事について話し始めます。

 パウロはダマスコのクリスチャンたちを捕らえてエルサレムに引っ張ってこようと、意気揚々とダマスコへの道を歩いていたその時、天からまばゆい光がパウロの周りを照らしたというのです。

 それは地に倒れるほどの圧倒的な光でした。
 
 聖書の中には、圧倒的な神の臨在がその場を支配するという出来事がいくつも出てきます。
 それは光、火、煙、雲、雷、角笛の音など、様々ですが、いずれにしても人の思いなどをはるかに超えており、死が人に臨む時と同様、ただその前にひれ伏すしかない、非常な恐れ(畏怖の念)を伴うものでした。

 神がひとたび人に臨むなら、そこに反論や疑問の余地はないのです。
 神は圧倒的な王として存在するお方、天地万物の創造者、その前にひれ伏して、拝むべきお方なんですね。

 この神の臨在の前に立たされた人は、文句なしにそれが「神」であることを知るのです。

 そして声がしました。「サウロ、サウロ、どうしてわたしを迫害するのか。」
 御子イエス・キリストの声です。

 この驚くべき出来事の様子を、このあと何回かに分けて見ていきましょう。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

 
2022.03.17.Thu 08:52 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
"「私は、キリキアのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しく教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。
 そしてこの道を迫害し、男でも女でも縛って牢に入れ、死にまでも至らせました。"
 使徒の働き 22章3~4節

 殺されそうになっているパウロを兵士たちは担ぎ上げ、兵営に連れ込まもうとしたそのとき、パウロは千人隊長に「少しお話をしてもよろしいでしょうか」とギリシア語で話しかけます。(21:37)
 千人隊長はパウロがローマの市民権を持つ者だと知り、彼にそれを許しました。

 そこでパウロが群衆に向かって話し始めたこと・・それは自分自身のことでした。

 ガマリエルとは当時の最高の律法学者で、そこで厳しく教育を受けたということは、最高学府で学んだ生粋のユダヤ教徒であることを意味します。
 自分はあなた方と全く同じ立場であったし、いや誰よりも熱心に神に仕える者であることを自負していた者で、クリスチャンを徹底的に迫害する者であった・・、パウロはそこから話し始め、それからイエスと遭遇した体験談を語ります。

 イエス様と出会う前、そして出会ってからのこと・・。
 クリスチャンには誰でも、この「ビフォー・アフター」があります。

 自分の「ビフォー・アフター」だったら自分自身のことですから、自信をもって人に話すことができます。

 この機会に自分の「ビフォー・アフター」・・まとめてみませんか。

 
 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

  
2022.03.16.Wed 11:42 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
 パウロが宮をけがしたということでイスラエル中は大騒ぎとなり、パウロは暴行を受け、今にも殺されそうになっていました。
 騒ぎを聞きつけたローマ兵たちが駆けつけたとき、群衆があまりに勝手に様々なことを言っているので、千人隊長はパウロを兵営に連れて行くことにします。(30-34節)
 今日の箇所はその時のことです。

" パウロが階段にさしかかったとき、群衆の暴行を避けるために、兵士たちは彼を担ぎ上げなければならなかった。大勢の民衆が、「殺してしまえ」と叫びながら、ついて来たからである。" 使徒の働き 21章35~36節

 彼らの怒り・・それはパウロが宮を汚したと勘違いしたところから、何も事情を知らないような者までがその怒りに巻き込まれるという、いわば怒りの連鎖の爆発でした。

 人の内には「怒りを爆発させたい」という願望があるのかもしれません。
 しかもその怒りが正当だとなると、それはものすごく大きな力を持ちます。

 そしていつも、ここから不幸の連鎖が始まるのです。

 世界の歴史はそのようにして血塗られ、誰もが平和を願っていると思われる今でも、それが続いているのです。
 このままで世界は決して良くはならないということを、今私たちは見せつけられているようです。
 
 すべての人は罪人(つみびと)だと、聖書は言っています。
 人は自分でそれをどうすることもできないのです。

 御子イエス・キリストの十字架の死と復活・・それは、このような私たちが一旦自分に死に、そのあと新しい人として生まれ変わる・・そのためのものなんですね。

 一人でも多くの人が、この救いを受け取ることができますように。

 ここに唯一の希望があるのです。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)
 
  
2022.03.15.Tue 11:25 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)

" ところが、その七日の期間が終わろうとしていたとき、アジアから来たユダヤ人たちは、パウロが宮にいるのを見ると、群衆をみな扇動して、彼に手をかけ、こう叫んだ。
「イスラエルの皆さん、手を貸してください。この男は、民と律法とこの場所に逆らうことを、いたるところで皆に教えている者です。そのうえ、ギリシア人を宮の中に連れ込んで、この神聖な場所を汚しています。」"
 使徒の働き 21章27~28節

 エルサレムにいた「アジアから来ているユダヤ人たち」は、パウロが神殿に入って何かやっているのを見て、異邦人を宮の中に連れ込んだと勘違いしました。(29節)

 それはユダヤ人にとっては重大事件であり、決してあってはならないことで、エルサレム中は大混乱に陥いります。
 もともとパウロを敵対視していた彼らはパウロを捕らえ、彼が「民と律法とこの場所に逆らうことを、いたるところで皆に教えている」者、すなわち神に逆らう者だと喧伝したのです。

 パウロが教えていたのは・・、イエス様は、あらゆる行いとことばによってご自身が御子キリストであることを証しされ、そのあげくに十字架にかけられ、死なれ、そしてよみがえりの事実をもって、キリストとしての証しを確実なものとされた・・ということです。

 それを信じるか信じないか・・、実はそれこそが「神に逆らう」のかどうかをあぶり出す問いだったのです。
 そしてユダヤ人たちは、神に逆らう者としてあぶり出されてしまったというわけです。

 そしてこの問いは、世界中のすべての人にも問いかけられていることなのです。

 あなたはそれを信じますか・・と。

 これは神があなたに直接問いかけておられる、究極の問いなのです。


 God Bless You ! (神様の祝福がありますように!)

  
2022.03.14.Mon 12:01 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 95.jpg


 〜「聖書のこと、話してみます」のお時間〜
 “GraceCafeたいむ #95” 【生きようとするなら死ぬ】

 アップしました。

 https://www.youtube.com/watch?v=hk0vwLUnt_0

 God Bless You !
 
 
2022.03.12.Sat 10:54 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" ですから、私たちの言うとおりにしてください。私たちの中に、誓願を立てている者が四人います。
 この人たちを連れて行って、一緒に身を清め、彼らが頭を剃る費用を出してあげてください。そうすれば、あなたについて聞かされていることは根も葉もないことで、あなたも律法を守って正しく歩んでいることが、皆に分かるでしょう。"
 使徒の働き 21章23~24節

 パウロは、エルサレムのユダヤ人キリスト者たちが、律法に忠実であろうとするユダヤ教の生活スタイルをそのまま守っているということを、この長老たちの言葉から知ることになります。

 しかしパウロはそのことに反発しようとはせず、エルサレムの教会の長老たちのこの提案に従うことにしたのです。(26節)
 しかしそれはパウロの本意ではないことは明かです。
 パウロが宣べ伝えている福音は「戒律からの解放」ですから。

 でもこのユダヤ人のクリスチャンたち・・彼らもイエス・キリストを信じて心に迎えて新しく生まれ変わった人たちなんですね。

 要するにパウロは彼らの信仰の姿勢を、対立によってではなく、寄り添うことによって見守ろうとしたわけです。
 
 一旦人の内にイエス・キリストが芽生えるなら、その人に気付きを与え、導き、成長させてくださるのは神なんですね。
 だから私たちは自分の考えを主張するよりも、相手の立場を思いやって、その上でその人のことを考えれば良いのです。

 でも私たちはそれがとても苦手です。

 しかしこのことも、私たちの内におられるイエス様によって実現していくのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

 
2022.03.11.Fri 10:27 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" 彼らはこれを聞いて神をほめたたえ、パウロに言った。「兄弟よ。ご覧のとおり、ユダヤ人の中で信仰に入っている人が何万となくいますが、みな律法に熱心な人たちです。
 ところが、彼らがあなたについて聞かされているのは、あなたが、異邦人の中にいるすべてのユダヤ人に、子どもに割礼を施すな、慣習にしたがって歩むなと言って、モーセに背くように教えている、ということなのです。"
 使徒の働き 21章20~21節

 前回と同じ箇所を別の観点から見てみます。

 エルサレムの教会の長老たちはパウロに、「モーセに背くように教えている」という悪意のこもった風評があることを伝えます。
 パウロは確かに「律法からの解放」を人々に告げていました。
 しかしそれは、いわば「守ることができない律法からの解放」です。

 ところがエルサレムの教会は、パウロについてのその悪評が根も葉もないものだということを、信徒たちに徹底できてはいなかったようです。
 その彼らはユダヤ人の信徒たちを納得させるために、宮で行われる儀式に従ってささげ物をするようにと、パウロを促したのです。(23-26節)
 パウロはそれを受け入れました。しかしその途端に大混乱・・、そしてパウロは一夜のうちに囚人となってしまうのです。(27-40節)

 エルサレムの教会は、パウロが教えている教理を理解させることよりも、ユダヤ人の信徒たちに波風が立たないようにということに心を配ったのです。

 パウロの戦いは実に孤独だったことがうかがえます。

 しかし考えてみると、このパウロの孤独な戦いによって今の全世界の教会があるんですね。

 パウロの苦難、孤独な戦い・・それも神のご計画の内にあったのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)
2022.03.10.Thu 09:12 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)
 
" 彼らはこれを聞いて神をほめたたえ、パウロに言った。「兄弟よ。ご覧のとおり、ユダヤ人の中で信仰に入っている人が何万となくいますが、みな律法に熱心な人たちです。
 ところが、彼らがあなたについて聞かされているのは、あなたが、異邦人の中にいるすべてのユダヤ人に、子どもに割礼を施すな、慣習にしたがって歩むなと言って、モーセに背くように教えている、ということなのです。"
 使徒の働き 21章20~21節

 パウロ一行は、ついにエルサレムに入ります。
 エルサレムの教会の中心的な人々は、パウロの宣教旅行の報告を聞いて大いに喜び、主の御名をほめたたえます。しかし同時に、彼らには心配なことがありました。

 実は、パウロが宣教の旅の行く先々で地元のユダヤ人たちの攻撃の的となったその最大の理由、それが「割礼は救いとは関係ないのだ」というパウロの主張でした。
 しかしここエルサレムのクリスチャンたちは「みな律法に熱心な人たち」だというのです。律法の代表、それが割礼です。

 割礼とは体に刻まれた「神の民のしるし」です。
 しかし、今やイエス・キリストをいただいていることこそが神の民であることのしるしなのだから、割礼はむしろそのことをぼやかしてしまうのだ・・、これがパウロの主張です。

 私たち日本人には、正月には初詣をするとか、お地蔵さんや神社の前では手を合わせるとか、当たり前だと思っている習慣があります。
 それは言ってみれば「自分の正しさを確認しようとする行為」で、それをすれば気が済むわけです。
 ユダヤ人のクリスチャンにとっても、割礼はそういうものとして体に染みついていたんですね。

 しかしイエス・キリストを救い主として信じた者はその「正しさ」を、すでにいただいているのです。

 イエス・キリストを信じるあなたはすでに、神の前に永遠に「正しい者」とされ、他のことはもう、必要ないのです。


 ハレルヤ! (主の御名をほめたたえます)

  
2022.03.09.Wed 11:19 | 未分類 | trackback(0) | comment(0)






PROFILE

いっちー
ドラマー市原康です。
TRIO'のこと、
ライブスケジュール
そしてキリスト教談義・・
・・再開です。
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